壁を乗り越えるためのハシゴになりたい

 長年ネットを続けてきたぼくの実感としては、趣味が異なる(=「好きの壁」がある)ひととも、対話することは十分可能だ。しかし、その対話はしばしばタフな作業になる。

 そこまでの苦労をして、あえて価値観の違いを乗り越える意味はあるのだろうか。それはただひとつの「正解」を出せることではなく、個々人がそれぞれの答えを出すべき問題だろう。
趣味のサラダボウル。 - Something Orange http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080603/p1

 興味や観測範囲が人によって全然違って、それが近い人たちだけで固まる傾向があるというような話は、最近よく耳にする。今の世の中は、情報も、娯楽も溢れに溢れていて自分の興味の範囲のものだけを消費するだけでどれだけ時間があっても足りないというのが主な原因だろう。好きなものだけ見てればそれで満足。だけれども、本当にそうなんだろうかな、と。

 同じものを同じ角度からずっと見続けていると、好きだったはずのものがいつの間にか新鮮さを失っていく事がある。“最近○○はつまらなくなった”なんて言説は、そうやって固定化した視点を変えなかったが故に感動を得る事が難しくなってしまう。かつて好きだったモノや人が、いつの間にか自分の中で価値を失っている…それはとても寂しい話です。

 好きの壁を乗り越えて、自分の見た事のない領域を見る事は、何よりもこの凝り固まった視点をほぐす効果があるんですよね。知らないモノを見て、戻ってきて改めて自分の好きを確認する。そうすると今まで気付かなかった新しい魅力を発見したりする。それは、それこそがモノを見る最上の喜びだと私は思っています。

 私がこのブログで、コードギアスニコニコ動画という一見するとまったく無関係なモノを並列して扱っているのも実はそんな思惑があったりもします。コードギアス好きの人たちにニコニコ動画の面白さを知って欲しい。ニコニコ動画好きの人たちにコードギアスに興味を持って欲しい。デタラメな話に聞こえるかもしれませんが、わりと本気だったりします(笑)。

 人一人の観測範囲は有限で、どうしたって偏るのは当然で。その中で自分の好きの中心を持つ事はとても素晴らしい事で。その好きをもっと深くもっと鮮やかにするために、壁を越えていく。こういった趣味のブログが、それを手助けするハシゴのような役割を果たせたらよいな、なんて思っています。

 ほんの少し見る角度を変えるだけで、この世界はこんなに光り輝いているのだから。