繰り返しの差異によって浮き彫りになる情報 玉城とシンクーに見る繰り返し演出

玉城の場合

 さて、R2第10話のMVPが玉城だという事に異論はないとは思いますが、まさに八面六臂の大活躍。口を開けば全てでまかせ、2秒前の台詞をすっかりきれいさっぱり忘れ去って思いつきで喋る彼は、今やコードギアスの作劇に欠く事の出来ない存在ですね。

 この第10話で特に目についたのは、同じシチュエーションを1話の中で繰り返す、その反復の差異によって情報を入れ込むという演出です。トラックを運転中のCCの横で地図を読み間違える玉城のせいで運転を誤りそうになるCC。一拍おいてまったく性懲りもなく地図をまた読み間違える玉城を、今度は華麗にスルーするCC。この演出において、2度目もまた玉城が地図を読み間違えるというのはお約束の前提になっているので、情報量が0なんですね。すると、差異の部分が自然と強調される事になる。

 これは、CCが道を知っている=以前中華で活動していたという含意のある情報なわけですが、これを例えばルルーシュとの対話や回想シーンで当てようとすると結構な尺を食うし、何よりも面白みがない。こうゆう場面で、躊躇なく同じ過ちを繰り返してくれる玉城というキャラは非常に重宝するんですね。

 カレンが駆る紅蓮可翔式の燃料切れの描写も同様で。まったく無根拠に自信満々にカレンの勝利を確信する玉城を見て、誰もがカレンのピンチを予期するわけですね(笑)。そしていざ燃料切れとなったところで「だから補給しろって言ったのに!」…言ってません(笑)。運用の不備の前に玉城にツッコミが集中するわけです。
 反復はしませんが、この積み上げによって、天帝八十八陵に追い詰められた玉城の“後はインド軍を待つだけか”という台詞が、確実に達成されない望みである事が強調されるんですね(笑)。まったく、重宝なキャラです。

シンクーの場合

 1話の中でのシチュエーションの反復は玉城だけでなくシンクー絡みでも用いられていますね。カレンVSシンクーの、カレンが勝利を確信するシーンと、シンクーVSゼロの、シンクーが勝利を確信するシーン。結果は、前者がカレンがアクシデントで逆転負け、後者はそのままシンクーがイニシアティブを取ります。

 もう一つ。藤堂VSスザクと、シンクーVS藤堂も反復になっていますね。新型ナイトメアフレーム斬月を手に入れ、スザクのランスロットと互する闘いを見せた藤堂。それがVSシンクー戦においてはゼロの“認めよう、シンクー。私に互する知略と、スザクにクラスの武威を”という台詞にかぶせて、藤堂機を圧倒するシンクーという絵が入る。これは(知略においてもルルーシュを凌駕しているのと同様に)武威においてもシンクーがスザクを凌駕しているという暗喩が込められているんですね。シンクー畏るべし。

 こういった演出はともすればワンパターンで退屈に取られてしまう可能性もあるのですが、1つ1つの演出の差異を明確に意図して対比させる事で直接的に見せる以上に効果的に“情報”と“印象”を視聴者に植え付ける事が出来るんです。