ニコニコ動画はどこへ向かうのか

ニコニコ動画、映画やアニメの二次創作作品を削除へ--日本映像ソフト協会らの要請で - CNET Japan

 ついに、来るべき時が来たと言うべきか。既に各所で話題になっていますが、ニコニコ動画において人気を誇るいわゆるMAD動画、無断で他人の著作物を利用し改編した動画群を削除していくと明記されたプレスリリースが発表されましたね。

 まず最初に言っておかなければいけないのは、この件に関して権利者の判断を責めるのは間違っているという事だ。今回の件が意味しているのは、ニコニコ動画を運営するニワンゴが、ひいてはニコニコ動画を利用する我々視聴者が、権利者に対して魅力的な提案を行う事が出来なかった、という事実だけだ。時間をかけて話し合った結果、やはり現状を認める事は出来ないと言われたら、それは粛々と受け入れるしかない。

それでも創作意欲を止める事はできない

 今後の展望として、一律禁止の方針を打ち立てた後で、一部のコンテンツに関して公式に二次利用を認めるという形で存続していくのではないかというものがあります。いわゆる東方系MADや、こちらは黙認ですがアイドルマスター系MADのような形でMAD文化に理解のある権利者とだけ付き合っていく、可能ならばその数を増やしていく、というものですね。確かにその方向が一番健全には思えます。
 しかし、MAD制作者の創作意欲というのは、そういった与えられたお題の上で発揮されるわけでは決してないんですね。ある作品に想像力を刺激されて、その妄想を形にして誰かに伝えたい。それがMAD制作者の原動力なんです。それが、MAD文化に理解のある権利者の作品であれば幸いな事ですが、そうでない事態のほうが圧倒的に多い。だからこそ、解放区としてのニコニコ動画は発表の場として数多くのMAD制作者を引きつけて来たわけです。そして、1度妄想を形にして発表するという快感を覚えてしまった人たちは、それを押しとどめる事はおそらく不可能でしょう。

不毛な歴史の繰り返しは避けるべきだが…

 今後、もし本当にニコニコ動画で作品を発表する事が困難になった場合、MAD制作者は新天地を求めて他の動画共有サイトへと移っていくでしょう。そして新たなMAD文化の総本山が立ち上がり、肥大化して、再び権利者との対立によって瓦解する。そんな不毛な歴史の繰り返しのサイクルに突入してしまう可能性がある。どこかで鎖を断ち切らない限りずっと同じ事の繰り返し。不毛な歴史の繰り返しは避けるべきだとわかっていても、いったいどうすれば断ち切る事ができるのか。。。

視聴者こそが謙虚になるべき

 難しい事だとは思うがあえて言う。やはり視聴者こそが謙虚になるべきだと。一次著作物にしろ二次著作物にしろ、せいぜい多少の金銭を支払う程度で楽しませてもらっているだけの視聴者が、声高に権利を主張するような状況は、どこか歪んでいるとしか言いようがない。全ての人が謙虚になるなんて事は夢物語にすぎないかもしれないが、せめて、そうゆう事を言う人たちはごく一部の口やかましい少数派で、大多数の人間はそういった声の大きい人間を軽蔑しているというコンセンサスが得られれば、状況は今と変わっていくのではないのだろうか。MAD文化の容認も、ネットによるコンテンツ流通革命も、すべてはまずそこから、消費者の意識の変革というところから始めていかなければいけないのではないか。ニコニコ動画におけるMAD動画の削除宣言も、そういった方向に世論が進むための必要な痛みだったんだと後で思える事が出来ればと…そう願っています。

 明日7月4日に大規模メンテナンスを挟んでニコニコ動画は新バージョンへと移行する事が表明されています。そこで同時に行われる発表会でどういった宣言が出るのか、いちニコニコ動画ファンとして期待をもって注目しています。願わくば、全ての人がニコニコ出来る未来が訪れるように。