時をかける少女 千昭の視点の物語 イントロダクション

 バタバタとしているうちに気がつけば時をかける少女の放映が今週末ですね。以前予告した記事をなんとかまとめねば。ということで今日はイントロダクションです。なお、本記事はすでに本編を1回以上見た人を対象に書いておりますのでネタバレの苦手な人は避けたほうが良いかもしれません。細田時かけに納得のいかなかった人も楽しく見た人もご一笑いただければ。

※以下ネタバレあり

 さて、この記事は作品中の主要人物の一人、間宮千昭の行動が、あまりに場当たりで不可解に思えたことなんですね。未来から来て、現地の少女と一夜限りの恋をして、そしてやがて未来に帰って行く男として、あまりにもこれはないんじゃないかという言動が目についた。こうゆう場合可能性はふたつ。千昭は見たとおりの何も考えていないひどい男であるという可能性。もう一つは、背後で直接描かれていない別の物語が動いている可能性だ。本エントリでは、作中のいくつかの描写から千昭が表面的に読み取れる物語とは別の、千昭自身の物語を編んでいる可能性について考察してみたい。なお、これはあくまで筆者の妄想の産物であり、公式設定等とのすり合わせは行っていないことを予め宣言しておく。

仮説1)タイムリープ後の世界は真琴が消失した状態で存続していく

 作中、注意深く見ていくと気になる描写がいくつかある。そのひとつが、真琴がタイムリープしたその世界が、真琴が消失したのちも存続している描写。最初のタイムリープ、電車にはねられる直前で真琴が消失し自転車だけがはねられているとうシーン。あるいは土手道で告白した千昭が真琴の消失を認識するシーン。あるいは河原でタイムリープの練習をした時のように、一時的に消失しても地点Xに再出現するのかもしれない。しかし実際に戻った描写がないシーンにおいてはその時間軸上では真琴が消失したまま世界が存続していくと考えたほうが、自然に思う。真琴がタイムリープを乱用した結果残された無数の“真琴がいない世界の千昭”は何を思い、どう行動するだろう?

仮説2)千昭は、真琴にタイムリープ能力をわざと与えた

 映画序盤において真琴が理科準備室でタイムリープの能力を得るシーン。このシーンで映るシルエットが千昭のものであることは作中でも暗示されていますが、なぜ千昭が胡桃を理科準備室に落としたのか。そもそも本当に胡桃は偶然千昭が落とし、偶然真琴が使ってしまったのだろうか。それよりもむしろ、千昭は真琴の行動を把握していて、真琴がタイムリープの力を得るように仕向けていたと考えたほうが自然ではないか。だとしたら、千昭はなぜそんなことをしたのか。

仮説3)千昭は、真琴の死の運命を知っていた

 千昭はタイムリープ能力者。そしてカウントが僅少になっていたことを考えても、この世界において過去何度もタイムリープを繰り返していたことが推測されます。で、あるならば。真琴がタイムリープを身につける以前の時間軸において、真琴が事故死した世界を目の当たりにし、それゆえに過去へ戻ったと考えられないだろうか。“おまえさ…飛び出して怪我とかすんなよ”千昭が未来へと帰還する前に残した言葉。この言葉も真琴の運命を知っていたとすればしっくりくる。だとしてもなぜ千昭は自ら真琴の死を回避する選択をせずに、あえて真琴にそれを託したのか。

仮説4)未来は歴史の復元力によって1つに収束していく

 そもそも千昭のもともと住む時代において、一般人が自由にタイムリープを許される世界というのをちょっと想像してみる。もし過去改変によって未来が変化し、その都度使用者が元の時代から消失してしまう場合、それが一般に許可されるとは思えない。ということは、タイムリープによってどのような過去改変が行われても未来は変わらない。少なくともタイムリープ使用者が飛んできた地点Xには戻れることが保証されると考えたほうが自然です。であるならば、過去において行われた改変はどうなるのか。それは歴史の復元力によって、地点Xの世界へと収束していくと考えれば整合がつきます。逆に言えば、収束可能な範囲でしか過去を改変できないとも言える。であるならば、千昭が元の時代に戻れる限りにおいて、真琴の死の運命を塗り替えることが出来ないと言うこと。その原則を打ち破るには、未来を知らない真琴自身に、変えてもらうしかない。それは…もし未来が塗り変わってしまったらば…千昭は元の時代の地点Xには戻れない事を意味する。これが作中で語られる“過去の住人にタイムリープの存在を教えてはならない”の意味なのではないか。

 今回はここまで。次エントリでは上記の仮説を前提とした上で千昭の行動と心理を追っていって見たいと思います。

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