コードギアス読解の基礎

 いよいよ終盤戦に向けて材料が出揃ってきた感のあるコードギアスですが、どうもこの作品はいったいどうゆう話なのかよく分からないという声も聞きますので、ここらへんで読み方の基礎になるような部分を確認しておこうかなと。もちろん、まだ制作途中であり不確定な部分は多いのですが、これくらいは強弁しちゃって大丈夫かな、というポイントを2点。

善悪の視点を入れ替えた物語

 これは1期開始時からすでに指摘されていたことでほとんどの人は了解済みだとは思うのですが、コードギアスという作品は通常の作劇であれば主人公であるスザクを脇に回し、敵役のポジションであるルルーシュの視点で物語が綴られているんですね。ガンダムで言えばシャアの視点で綴られる物語と言えばわかりやすいですかね。重要なのは、ルルーシュは最初から敗北が義務づけられているということ。敵役であり、本来の主人公であるスザクに常に苦杯をなめさせられる。それは1期で何度も繰り返されてきた場面です。2期においてその立場があるいは変化するかも?(続編で、かつての敵役が仲間になるという事はままある話です)という希望もあったのですが、15話まで進んだところで、どうやらその可能性は極めて低くなっているように思います。そのかわり物語のラスボスとして華々しく散華する準備は余念なく進んでいるように思われ、ルルーシュに感情移入する私のような人間にはたまらないマゾヒスティックな展開が予想されます。悪は悪として、それがどれだけ同情を誘う存在であったとしても断罪される、ある意味王道の勧善懲悪スタイルなんですね。

拙速な力は不幸を呼ぶというメッセージ

 もう一つ特徴的なのは、ギアス能力に代表されるような、世の理を無視した拙速に結果を手に入れる力の行使は不幸を呼び込むというメッセージです。ギアスに限らず恋愛でも出世でも、それに見合った努力を経ずに結果を得たところで、周囲にも自分にも不幸をまき散らす事になると繰り返し描写されている。ルルーシュ七転八倒ぶりを見てギアス能力に憧れる人もなかなかいないとは思いますが、それでも「オレならもっと上手く使ってみせるぜ」と思ってしまうお子様のために、もっと上手くギアスを使う人であるシャルル皇帝を配するという念の入れよう。今後シャルル皇帝がギアス、およびコードの力とどう対峙するのか、というのが終盤の大きな見所のひとつですね。

 この2点に関しては1期から繰り返し何度もぶれることなく描かれ続けており、おそらくは最終回まで貫かれるであろうコードギアスという作品の基礎フォーマットと言って差し支えないと思っています。悪は必ず滅びる。身の丈に合わない力は破滅を呼ぶ。視点の倒置と過剰な装飾で誤魔化されていますが、コードギアスという作品の倫理感は実は非常に古典的なんですよね。