戦略と戦術の違い

 “戦術と戦略の違いを見せてやる”

 ルルーシュの、お決まりの決め台詞のひとつ。このセリフを聞くたびに「いや、ちょっとマテ、君のはそれは戦略じゃなくて戦術なんじゃ…?」と突っ込まずにいられない人は少なくないのではないでしょうか。私も、そのひとりです(笑)。ところで、戦術と戦略の違いって、改めて考えると結構難しいんですよね。

概説

戦略は特定の目標達成のために総合的な調整を通じて力と資源を効果的に運用する技術・理論である。ただし戦略の定義は時代・地域・分野によってその意味は異なる。戦略はもともと戦争術から戦術と併せて分化した概念であり、軍事学の専門用語であった。

軍事的な分野に限定した定義も一様ではないが、一般的に戦略は戦闘部隊が戦場で優位に立てるようにするための巨視的な策略であり、一連の戦闘における勝利を高次元で最大限に利用する術策である。これに対応して戦術は戦闘において勝利を得るために部隊を運用する術である。[2]

戦略の研究は途上にあり、また日本では戦後に企業の経営戦略のように使用されたり、また経済戦略や外交戦略のように政策と同義語として使用されることも多く、また戦略的という形容詞が多用されることも重なって、その定義は拡散している。
戦略 - Wikipedia

WikiPediaの“戦略”の項。原義の戦争術における定義で考えると、部隊を巨視的な視点で操り戦闘を有利な状況に導くルルーシュの作戦行動は戦略といって差し支えのないもののように思える。しかしそれは達成目標を局地的戦闘での勝利に設定した場合の事であり、ルルーシュの闘争の最終目的をブリタニアの支配体制の打倒と考えると、局地戦での勝利は戦術レベルの勝利でしかないんですね。

そこに大局観はあるか

 もちろんルルーシュも、黒の騎士団の組織や、中華連邦との協力関係の締結といった、最終目的に向けた戦略行動も取っている。しかしルルーシュの戦略の多くは、局地戦での戦術的勝利を前提とした非常に危ういものなんですね。その綱渡りっぷりはR2になってより顕著になっていて。目の前の勝利にこだわるあまり大局を見失うこともしばしば。

 15話「Cの世界」での皇帝との対峙がまさにこれで、皇帝を倒すチャンスという目の前のチャンスに飛びついて、大局的な目的をすっかり忘れてしまう。ルルーシュは優れた戦術家ではあっても、天下国家の運営戦略といった長期ビジョンを考えるのはとても不得手なんですね。

その点においてはスザクも同様で、行動原理が非常に近視眼的、その選択がどうゆう影響を及ぼすかを深く考えずに目の前の自分の納得を優先してしまう。それ故にスザクの行動はどこか危なっかしくて、結果としてそれが正しくてもどこか人の心に不安を与えるんですね。そのあたりが、スザクが生理的に受け付けない人たちを増やしているようにも、思います。

長期的戦略をもつものたち

 コードギアスのW主人公であるスザクとルルーシュはどちらも長期的な戦略なく、目の前の状況に翻弄されて生きている。それは、若さゆえでもあるし、その葛藤が複雑なドラマツルギーを形成してこの物語を魅力的にしているのは事実です。その一方で、R2になってクローズアップされてきた人物、ブリタニア皇帝シャルルであり、第2皇子シュナイゼルであり、中華連邦の領袖シンクーといったキャラクターは、明確に長期的な戦略をもって行動してるんですね。彼らは、複雑な状況が絡み合う中で世界のあるべき姿について具体的なビジョンを描き、その目的に沿って行動している。

 象徴的なのは第10話「神虎輝く刻」での、ルルーシュのお決まりのセリフのシーン。大宦官の暴言を引き金に中華全土で民衆蜂起を引き起こすという策略を披露するのですが、この民衆蜂起の計画自体はシンクー一派が長い年月をかけて仕込んで来たものであり、ルルーシュはそれを最大限の効果を与える形で利用したに過ぎないんですね。

 皇帝は今回不老不死の力を手にしましたが、それは自らの推し進めた暴力による世界制覇を最終的に完成させるためと考えられなくもない。シュナイゼルもまた、自らの死後も含めて、世界の在り方について深い意図を持って行動しているように見える。世界のグランドデザインを巡る彼らの戦いは、ルルーシュやスザクの闘争とは、一段違うステージで行われているんですね。そこでは、スザクもルルーシュも局面を左右するコマのひとつでしかないんですね。