シャルル皇帝の目指す、嘘のない世界

“神を殺し、世界の嘘を壊そう”

 第14話で明らかになった、VVとシャルルの契約。ここ数話“嘘”というキーワードが非常にクローズアップされています。ギアスという秘匿された力を行使するシャルルとVVが嘘を忌み嫌うというという矛盾をはらんだ構造。シャルルとVVが抱える最大の“嘘”はギアス能力の存在、そのものなんですね。

 だからこそ、VVとシャルルの望みは、そのギアスの力を滅すること。

“これが王のちからだというのならば、力あるものはひとりで十分だ。ギアスという力、罪、存在そのものをこの世から消してやる”

ルルーシュがCCに向かって啖呵を切ったこの言葉こそが、皮肉にもシャルルの望みそのものなんですね。しかし、その目的自体が、嘘だったとしたら…?

ただひとりの王になる覚悟

 15話で明らかになったとおり、ギアスの力、不老不死の力というのは誰かに引き継がせる事は出来ても、存在そのものを滅する事は出来ない。それを可能にするために50年という歳月をかけて研究を続けた結果が、やはりその力を滅する事が不可能だという結論だったとしたら。ただびとたるシャルルは、やがて寿命によって死んでしまう。残されたVVは、ただひとりの王として孤独に耐えるだけの強さがあるのだろうか。VVは、CCを執拗なまでに求めた。それはおそらくシャルル亡き後の1000年の孤独に耐えるパートナーとして。それは、VVの弱さなんですね。シャルルがVVの力を奪い取ったのは、幼き兄に代わって不老不死の王となり、1000年の孤独に耐える覚悟の上、という事なのでしょう。

嘘のない世界を目指して

 その力を滅する事が出来ない。存在を消す事ができない。であればその存在を秘匿しようとすればCCのように世界から隠遁して生きていくしかない。しかしそれではこの力がもたらす悲劇の連鎖を断ち切ることは出来ない。

“これ以上悲劇を産み出さないために、手段にこだわってはいられない”

 スザクが、カレンにかけた言葉。先述のルルーシュの言葉がそうであるように、この言葉もまたシャルル皇帝の真意である可能性が高い。他のキャラクターのセリフに乗せて他のキャラクターの真意を語らせるというのも情報圧縮の技術のひとつなんですね。ここからは、私の妄想、予断なのですが。その皇帝の真の目的とは

  • ギアスの存在そのものを世界に周知し、ただひとりのその力の行使者として、世界に君臨すること

なのではないかと。これはアレです。デスノート夜神月が目指した、超常の力の恐怖をもって世界に秩序をもたらすという考え方と同根のものですね。シャルル皇帝と夜神月の違うところは、シャルルは世界の平定そのものは、戦争という人間の世界のルールに則って行い、超常の力の暴露は平定が成ってからと考えているのではないか、というところですね。ナイトオブワン・ビスマルクに語った“戦争なぞ、愚か者のすることよ”というセリフも、そう考えるとしっくり来ます。

優しい嘘に守られた世界

 だけれども、超常の力の脅威にさらされた嘘のない世界というのは、それはとても苛烈な世界なんですね。力あるものだけが正義であり、力なきものはそれに従うしかない。それはまさにブリタニアの国是そのもの。その点においてもシャルル皇帝の言動は一致を見るのですが…ほとんどの人はその苛烈な世界に耐えることは出来ない。自分の為、守るべき誰かの為に、“優しい嘘”をついて生きてるんですね。

 “嘘をついてごめんなさい”

 皇族であることを隠していたことをカレンに謝るナナリー。ナナリーの存在は、その“優しい嘘”の象徴のようなキャラクターなんですね。15話において、ナナリーはそのハンディキャップゆえか、人の心の嘘に非常に敏感であることが描写されています。手の震え、体温の変化、そういったものから相手の言動が真実かどうかを読み取って、生きてきた。今まで幾多の場面で、シャーリーが手繋ぎを求めてきた事にそういった意味があったのかと思うととても感慨深いのですが…

 “俺は嘘をつかないよ、お前にだけは”

 第1期3話においてルルーシュがナナリーと指切りをしながら言った言葉。これは今回ナナリーとスザクの会話で反復されているのですが、ナナリーは実はこの時点でルルーシュの言葉が嘘にまみれていることに気が付いていたということなんですね。だけれども、ナナリーはそれを咎めることはしなかった。それは、ルルーシュの嘘が、おそらくはナナリーを守るための優しい嘘であることを知っていたから。それゆえにルルーシュは嘘を重ね、罪を重ねる事になってしまうのだが…誰かを守るために、そのためにあえて嘘をつくというのは、だからといって単純に否定されるべきものでもないんですね。

 嘘のない、しかし苛烈な世界。嘘にまみれた、だけれども優しい世界。どちらが正しいのか。ローマイヤをその嘘を見抜く能力で嗜めたようにナナリーもまた、葛藤してる。どちらかだけが正しいという事は決してない。常にその狭間で揺れること、どちらが最善なのかを常に問いかけること。コードギアスという作品が我々に求めているのは、つまりそうゆうことなのかもしれません。