快感原則に寄り添うことと物語性の両立

 日経BPの谷口監督のインタビューが更新されていましたね。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080902/169503/

 この中で出てくる“快感原則”という言葉は大変に意味深で、重要ですね。私はこれは、視聴者―受け手の感情をちゃんと揺さぶる作劇をすること…何も考えずに見ていて泣いたり笑ったりいい気持ちになったり出来る画面作りをすること、と理解しています。

 実際にコードギアスを視聴しているときの感情の起伏というのは強烈で、ともすれば毎回毎回その場限りで視聴者を驚かせるだけで内容なんてないんじゃないかと揶揄されてしまったりもするのですが、けしてそうではないということをこのブログでは延々と書き綴ってきたんですね。

感情と情報のトレードオフを克服する

 とかく、強く感情を揺さぶる表現をすることと、画面内の情報量を増やすことはトレードオフの関係になりがちです。それは感情を強く揺さぶる表現をするためには読み手の思考や感情がシンプルであるほうが好ましいのに対し、情報量の多い画面というのは読み手の思考を複雑にして感情線が動きにくくなってしまうんですね。この相反する性質を克服するにはどうすればよいのか。それに挑戦し、そして成功しているのが、コードギアスという作品なんです。

情報圧縮の技術

 毎回衝撃的な展開で一喜一憂させながらも、その裏に一本筋の通ったキャラクターの葛藤や関係性が隠されている。繰り返し視聴することでキャラクターの複雑な感情の機微が読み取れるようになっている。そういった技術を当ブログでは情報圧縮*1と呼んでいます。反復・重ね合わせ・言葉の仮託・暗示的なモチーフの多用…こういったテクニックは、コードギアスに限らず、現代的なアニメ作品であれば何がしか工夫がある、あるいは古い作品であっても、意識・無意識によらず類似の手法がとられているものも多いのではないかと思います。

 これは、作り手側の作劇術であると同時に、読み手の作法の問題でもあるんですね。一度こういった読み方を身につけられれば、それは他の作品を読み込む際にも応用が出来る。私はたまたまコードギアスという作品を知り、その魅力に引かれて書き綴っているのですが、おそらくは他の作品にも同じくらい奥深い魅力をもった作品はあるはずで…そういったものを掘り起こす呼び水になれたらな、などということも、おこがましくも考えていたりもします。

無から有を生み出す

 話を戻します。コードギアスという作品においては、おそらくそれが体系的に整理されて最大限有効に利用されている。それによって、単純で起伏に跳んだストーリーラインを編みながら同時に複雑で奥深い世界やキャラクターの心情の描写を両立させているんですね。そしてこの手法は、もう一つ副次的な効果があったりします。それは、膨大な量の情報を入れ込むことで、製作者自身が意図していなかった関係線が勝手に発生するんですね。自然に発生した関係性から、必然として物語が発生する。ある一定以上の情報量を超えた作品は、時に製作者の意図すら超えた“世界”を形成するんですね。それは読み手一人一人にとって少しずつ違う形をしていて絶対の正解はないものでもある。だからこそこうやって人に伝えたくなるし、伝えることでそこからまた新しい何かが生まれる。5年、10年、あるいはもっと長く語り継がれる物語というのは、自然とそうゆう性質を持っている。それは、コードギアスが並び立つことを目指した、機動戦士ガンダムエヴァンゲリオンという過去の偉大な作品にも備わっているものですね。

 コードギアスは一見その場限りで読み棄てられるポルノグラフィのような体裁をとりながら、同時に10年の時の流れの重みに耐える作品を目指してきたんです。そして今まさに着地しようとしている。いまだに毎回の驚きを提供しながら、着実に終幕に向かっている。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080907/p2

 こちらでGaius_Petroniusさんが語っていますが、時々思い返したように過去のエピソードを見ると、本当に驚くほどキャラクターの感情の機微が伝わってくる。それは、今リアルタイムで読み捨てるように見ている人たちが、何かの折にもう一度見た時にまったく違う風景が見えるということなんですね。終わり方次第では、賛否両論を巻き起こす可能性は高い…あるいは罵倒に近いような評価のされ方をしてしまう可能性もあるのですが、この作品の評価は時が立つにつれて大きくなっていくと確信しています。

*1:造語です。念のため。