天空要塞ダモクレスは世界に平和をもたらすのか
シュナイゼルの開陳したダモクレス計画。その運用の困難さについてはとりあえず目をつむり、概念のみを考えたとき、その計画の実効性について、少し考察しておこうと思います。
差別と貧困はなくならない
世界の主要都市にフレイヤを落とす/落とすという脅しをかけるのは、確かに国家間の戦争を抑止する効果は期待できます。冷戦下の核の傘の効果ですね。しかし国家間の紛争を封殺するということは経済格差を理由とした武装蜂起をも封殺すると言うことになる。それは差別と貧困の固定化が行われると言うこと。例えば虐げられた植民地の住人が独立闘争を仕掛けた作中の黒の騎士団による武装蜂起も、ダモクレスシステムの前には否定されることになる。
テロリズムもなくならない
そうした固定化された差別から発生するのは戦争だけではない。それよりも具体的な根拠地を持たないテロリズムこそが横行することになる。フレイヤによって行えるのは根拠地の殲滅のみであって、世界中に散らばった個別のテロ組織を狙い撃つにはあまりにも効率が悪すぎる。
警察力の機能は期待できない
そしてもちろん、個人の犯罪も抑止できない。どんなに上から見下ろそうとも、人それぞれの欲望は止めることができない。考えて見ると、シュナイゼルの言っていることがいかに矛盾に満ちているかと言うことがはっきりわかる。そもそもダモクレスの支配は運用上の問題があまりにも多すぎる。フィクションの嘘で誤魔化すにしても荒唐無稽が過ぎるんですよね。あまりにも仕掛けが大がかりすぎて騙されそうになりますが、シュナイゼル自身もダモクレスによる支配が有効性があるとは考えていないのではないか、と思えてきます。
高度300kmの意味
ダモクレスの目標高度である高度300kmは、衛星軌道となりうる数字です*1。立派な宇宙空間なんですよね。ダモクレスの構造はわかりませんが、密閉された生活設備と地表からの継続的な物資の搬入がなければ人が生きていくこともできない。どれだけ強大な力を備えていても管理者不在では張り子の虎です。ただし、ただそこに存在するだけでよいのであれば、高度がギリギリ過ぎること、質量が大きすぎることという問題はあるものの、一端軌道上に乗ってしまえば特に推進力を用いずとも高度を保てる事になる。大量破壊兵器を積んだ要塞が誰も管理することなく天空に存在するという状況。実はそれこそがシュナイゼルの思惑なのではないか。
あってもなくてもどちらでもよい
先だってのエントリにも書きましたが、シュナイゼルの戦略は、成功しても失敗しても結果が得られるようにすることにある。そう考えるとこの壮大な計画はとても奇妙なものに思えるが…天空にて存在感を誇示することも、仮に墜落して地上でオブジェとなることもどちらも意味に大差がないと考えているのかも知れない。ダモクレスの質量がよくわからないので、高空300kmからのインパクトはどれほどなのかはわかりませんが…まあ富士山噴火の被害とためを張る程度かなと…それで例え10億20億が死んでも…まあ大したことだとは思いますが、シュナイゼルの価値観からすれば大したことではないのかも知れません。
ともかく、シュナイゼルのダモクレス計画は、その計画の概念を周知させること、その実効性は脇に置いて技術としてそれが可能である事を誇示することにあるのではないかと、そうゆう結論に達しています。はたして、どうでしょうね。