動画紹介系ブログに出来ることとその限界

 このブログでもときどき(しょっちゅう?)ニコニコ動画の動画紹介記事を書いていますが、動画紹介系のブログを長く続けていると時々無力感に襲われることがあるそうです。果たして自分の書いた紹介記事はちゃんと誰かに届いているのだろうか?ひょっとしてただの自己満足になっているんじゃないか?と。

 うん、これはブログの運営の目的をどこに置いているのか、ということでもあると思うんですね。動画紹介にもスタンスはいろいろあって

  1. ブログ主の自分用のメモ。ブログの埋め草
  2. コミュニティの仲間内への告知、報告
  3. コミュニティ外部へ向けた宣伝、誘導

だいたい大まかにいってこの3つのスタンスがあって、多くのブログ主さんはそれを特に意識せずにその時々で使い分けたりしている。おそらくはほとんどの動画紹介ブログは1か2で、拙ブログや敷居の先住民さんみたいに、外部に向かって発信することをメインの目的にしているブログと言うのは少数派なんじゃないかな、と思っています。

 では何故外部に向けたブログが少数派になるのかと言えば。1のスタンスの場合、動画のクリップをすることは自分のためですから100%目的を果たしているんですね。2のスタンスの場合も自分の見知った人たちに向けて書いているわけですから、100%とは言わないまでも、概ね50%くらいは意図が伝わる。しかし3のスタンスをとった場合は、よく伝わっても1割。あるいはアクセス数の1%以下にしかリーチしないなんてことはざらにある事態なんです。

 実際、アクセス解析なんかで見ると、動画紹介記事がはてなホットエントリになったり個人ニュースサイトに補足されたりしても、そのアクセス数の90%は直帰(10秒以内に閉じられている)んですよね。記事にアクセスしてもらってもまず読んでもらえるかどうかだけでそれだけの壁がある。そして更にそこから動画へ飛んでもらえる率を考えると100アクセスにつき1人、1万アクセスしても100再生くらいしか貢献しないなんていう悲しい現実が見えてきたりする。普段1や2のスタンスでやっている人がたまに外部向けの記事を書いてそこに無力感を感じても仕方ない、とは思います。

ものごとには役割分担というものがある

 でもね。だからと言って身内向けの動画紹介記事を書いている人が外部に発信したいと思うことに意味がないとはまったく思わない。一人一人の影響力は弱くても、それが連鎖していくことで大きな影響力を発揮することは十分ありえる。例えばVocaloid系のニュースサイト大手の初音ミクニュースさんなんかは、多くの動画紹介ブログをフォローしてピックアップすることで、動画へのリーチを飛躍的に高めていたりする。何も考えずに身内向けに記事を書くだけで外部に発信してもらえる。こんなありがたい話はないですよね。
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 最近揉め事系のエントリではてな界隈で話題になっていたニコマスはこれといってシェアの大きい専門ニュースサイトがなかったりしますが、新着動画をスッキリとまとめたみてれぅチャンネルのようなポータルサイトも出現してきている。こういったサイトとの横の連携を意識するだけで外部へのリーチは随分と違ってくると思うんですね。
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 あるいは盛り上がってる話題に便乗して無理やり動画紹介につなげたっていい。先日のニコマス界隈の騒動に乗じて熱い動画紹介記事を書いてホットエントリ入りした記事なんかもありますね。見事としか言いようがない(笑)。

ニコマス初心者が観るべき10のアイマス動画 - はてなで留まってすぐ溶解

 他の界隈で注目を集める存在になって、その上で動画を紹介したりするという道だってないでもない。IT業界の有名人、ただただしさんは自ブログで積極的に動画紹介してますし、インタビューでそのことを堂々と謳ったりもしている。まあこれは誰にでも出来ることではないですが(笑)

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001500
ただのにっき

 やり方はいろいろある。ひとつじゃないんです。

動機は単純でいい

 自分が見て凄いと思ったり楽しいと感じたものを紹介したい!それは動画に限らず漫画でもゲームでも映画でも実用書でもなんだって同じことで。そこを変に分け隔てて○○界隈のために!とか大上段に構えると目的と手段が転倒して何をやってるんだかわけがわからなくなる。動機は単純でいい。

凄い!だから見て欲しい!

 もちろんそれを伝えるために文章を工夫したりタイミングやあるいは他のサイトとの連携を意識したりそういった技巧を凝らすのはどんどんやるべき。だけどその行為の根本にある、伝えたいという想いだけは絶対にブレてはいけないと思う。

内向きの議論に意味はないのか

 そうは言っても内向きの議論をしたくなることだってあるじゃないかと言われるかもしれない。それは、もちろんある。コミュニティの内部に属しているのならそれは大いにやればよいと思う。だけど、それはブログを使って外部に向かって発信することじゃないですよね。個人個人のつながりのなかでこれはもっとこうしたほうがいい、自分はこうありたいと言ったことを熱く語るのもやっぱり楽しいし有意義な面も多いでしょう。だけど何にも知らない人を巻き込んでも、それはあんまり意味がない。公開討論で傷を負って、それでコミュニティと疎遠になったりしたらそんなつまらない結末はないでしょう?

 外向きと内向きは堂々と使い分ければいい。もちろんときどき漏れてしまうことがあるのも、仕方がない。そんなときはだらしねえなと笑って許してあげればいい。ニコニコの精神というのは、そういったものなんじゃないんでしょうかね。

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