“ニートの楽園”はこの国を救うのか?
“ここをニートの楽園にしようぜ”
メインタイトルと同じサブタイトルを持ってきた東のエデン第6話「東のエデン」。このエピソードで滝沢くんの“新たな100億円の使い道”が呈示されましたね。しかし果たしてニートのニートによるニートのための楽園を作ることが本当にこの国を救うことになるのか?と疑問に思った人がほとんどでしょう。そして実際その答えは“否”でしょう。それは第3話にて老人の為の自助的な楽園コミュニティを作ったセレソンNo5火浦医師を退場させたことから類推可能です。しかしだからこそ視聴者は滝沢くんとエデンメンバーがやろうとすることに感情移入することが出来る。火浦医師の理想が100億円の使い道として本当に間違っていたのか?という余韻を残すことで、それと重なるエデンの“ニートの楽園”という荒唐無稽なフレーズにリアリティが宿そうとしているんですね。
循環可能な何かを作ること
これは全くの主観というか予断なんですが、恐らく滝沢くんが記憶喪失になる前にやろうとしていたことも“ニートの楽園”とほとんど同じ発想だったんじゃないかと思ってるんですよね。働きたくないニートをショッピングモールに集めて放蕩を尽くす。しかしその数が数千、1万人、2万人と増えるにつれてたった100億円ではあっという間に消尽しつくしてしまうんですよね。100億円を2万人で割ったら一人50万円にしかならない。本気で養おうと思ったらほんの数ヶ月分の生活費にすらならないわけです。だから滝沢は一度すべてを投げ出した。2万人の就職口を無理矢理作って。そして記憶を失った滝沢くんが再び同じアイデアにたどり着いた時、前回と違うのは、目の前に「共に闘う仲間」がいることなんですよね。東のエデンという「不要なものにタグを付けることによって新たな価値を創造する場」を構築することで、100億円を食いつぶさないで循環していく仕組みを構築できるのではないか、そういった思考実験の意味合いもあるのかな、なんてことも考えています。
これは実際夢物語でもなんでもなくて、2年間で数十億円の赤字を垂れ流しながらこの国の在り方を変えつつあるネットサービスというのは現実に存在しますしね。
セカイカメラとの類似が指摘されている東のエデンですが、実のところこれはニコニコ動画のメタファなんじゃないかなんて思うのは私が重度のニコ厨だからですね、サーセンwww
2本のストーリーを同時進行させる
演出面で上手いな、と思ったのはアバンタイトルを先週と重ねることで、大杉くんの命運を視聴者に強く想起させることに成功してるんですね。これによってオープニング明けの日常パートのだれ場においても、一本芯の通った緊張感が基調低音として維持されている。最低限のシーンの挿入だけで2本のストーリーが平行して進行しているのが伝わるんですね。これは今までのエピソードにおいても一定以上のスピードで時間が進む演出を重ねてきたことも功を奏している。時間がとどまることなく進んでいくからこそ、タイムリミットが迫る緊張感が出てくるんですね。
海の藻屑さんが詳細な演出解説をしていらっしゃいますが、実際にホテルのシーンと学校、ショッピングモールのシーンは別々にコンテを切ってわざとテンションに温度差をつけてるんですよね。このあたりのエピソードの設計の仕方はとても野心的ですね。
黒の王子と白の騎士
ショッピングモールのシーンでまたとても面白いのは、このシークエンスでは主観人物が今回初登場した平沢になってるんですね。主観の位置の読み方は目線の描写→目線の先の空間の切り取りという描写からおおよそ読み取れるのですが、部室のシーンでは転調場面で春日の視点になってますが基本咲の視点になっています。今までのエピソードでも滝沢か咲がいる場面ではほぼそのどちらかが主観の中心になっているのが、ショッピングモールのシーンにおいては滝沢と咲がいるにも関わらずほぼ全編平沢の視点で構成されている。これはもう主人公扱いと言ってもいいレベルなんですよね。これはちょっと注目して欲しい。
それでですね。平沢を主人公格の人物としてみると、“ニートの楽園”を作る契約を結んだ、滝沢と平沢が握手するシーンがまた違って見えてくる。高邁な理想と正統な資格を持つ平沢と自らは目的を持たず理想を持つもののためにその力を振るおうとする滝沢が、「黒の王子と白の騎士」の関係に見えてくるんですよね。平沢が黒いジャケットを着て滝沢が白無地のシャツを着ているのも、なかなか象徴的だなと勘繰ってしまう。
オーバーマンキングゲイナー 2526 ゲインとアスハムとルルーシュとスザクとシャアとアムロとミイヤとイオリア・シュヘンベルグと男と女 - 旧玖足手帖-日記帳-
黒の王子と白の騎士って何さ?という向きには玖足手帖さんのこの記事を頑張って読み取っていただきたい。いずれもうちょっとかみ砕いて解説する記事を書きたいとも思ってはいるのですが、理想を仮託される王子と、その王子の理想の為にあらゆる倫理の壁をぶち壊して力を振るう騎士という関係性は物語の一つのアーキタイプとして「ある」と考えています。この場合、東のエデンのメインテーマの一つであるノブレス・オブリージが滝沢くんではなく平沢にかかってくる可能性があるのもポイントですね。果たして彼は王子たり得るのか。そしてその理想の先には絶望しかないのか?そのあたりにも目配せをして展開に注目していきたいな、と考えています。まあ、このあたりは勘繰りすぎな気もするんですけどねw。