東のエデンに見るスタンドアローンコンプレックス

 東のエデン第7話「ブラックスワン舞う」。面白かったですねえ。特に中盤のセレソン携帯による「願い事」の応酬は、まさにこの設定を聞いたときに見たかったものを見せてくれたといった趣でとても楽しかったですね。その派手な演出の中でセレソン携帯の能力の源泉を紐解くためのいくつか気になるポイントがありますね。

セレソン携帯に出来ること

 まず最初のポイントはNo11黒羽を足止めした手段。「違反常習者の足止め」。1500円也。一見万能に見えるセレソン携帯ですが、権力を笠にきて好き放題に人を動かせるわけではなく、あくまで書類の書き換えによって、現地の警官の自主的な判断によってそれが実行されているんですね。そして書類の書き換えの費用は、恐ろしく安い。第5話において「総理にぎゃふんと言わせる」ことのお値段が60円というのが話題になりましたが、これも人を動かしたというより答弁のペーパーを書き換えた、と考えたほうがしっくりくる。政府がセレソンとMr.outsideの存在をどれくらい把握していて、あるいは容認しているのかというのは定かではありませんが、回ってきたペーパーを読んだだけだったと考えたほうが皮肉が効いていて面白い気がしますね。

 一方で不動産の売買や、タンクローリーの狙撃のような依頼にはそれなりの費用がかかる。といっても不動産は恐らくは相場通りの値段ですし、超法規的な手段であっても「それなり」の金額でしかないんですよね。タンクローリーの事故誘発が40万円也。第2話での殺人依頼に至っては3人殺して150万円程度。その依頼をこなす迅速さを考えてもあまりにも安すぎますよね。これはMr.outsideが予め非合法な手段に長けたエキスパートを雇っておいたのか、さもなくば、それぞれのセレソンが既存の非合法組織と人脈を作り、それによって迅速に事を運ぶ協力者を得ているか、そのどちらかでしょう。そして私は恐らくは後者であろうと推理しています。その根拠は第4話で、賄賂によって議員その他との人脈を形成するというセレソン携帯の運用法が示されていること、ですね。火浦の願いは「高齢者を人的資源として雇用できる個人病院を作り、そのシステムを自治体に運営させること」。その為の根回し、人脈作りには実費が発生する。非合法手段に限り予め人脈が用意されていると考えるのは不自然だしアンフェア、でしょう。滝沢君が国家権力を笠に着る手段を用いようとしたのに迂遠な手段が実行されたこともまたこの推理の補強になるかな、と考えています。

 一方で不動産の売買においては、所有者の売買の意思というのがスッポリと抜け落ちて一声号令をかけるだけで簡単に所有権を移している。そして黒羽がつぶやいた「差額の2億はどこに消えるのかしら」というセリフ。このセリフは意外に重要なんじゃないかなと。一義的には間抜けな状況に対するツッコミですが、映像作品…特にアニメにおいては台本に書かれたセリフにはそれなりの演出意図があると考えたいところです。撮影現場の状況如何でアドリブのセリフがありえる実写映画と違い、アニメの場合はシステム上アフレコ現場でのセリフの変更というのは難しいですからね。
 それでこの所有者の意思を無視した名義変更、そして消えた2億といったものを勘案すると、どうもセレソン携帯に出来ることはネットワーク上に存在する書類や帳簿のデータ改竄及びその帳尻あわせとしての口座の操作に限られてくるのではないかなと。セレソン携帯にはマンパワーを動員する力はなく、その力が及ぶのはあくまで書類の改竄とオンライン上の入出金に限られるのではないかということですね。といってもこの想定だとホテルインソムニアのオーナーが変更されたことをどうやってホテルの支配人に納得させたのかという部分がちょっと弱かったりもするのですが…。

セレソン携帯とスタンドアローン・コンプレックス

 正直なところ上に挙げた例だけではまだ根拠は薄弱なのですが、もしこの推理が当たっているとすると、神山監督は実はこの東のエデンでも「スタンド・アローン・コンプレックス」を描こうとしているのかもしれないな、ということを考えています。「スタンド・アローン・コンプレックス」とは神山健二監督の出世作攻殻機動隊S.A.C」で主題として扱われていた概念で、ものすごく大雑把に説明すると、「個人個人が自由意思で勝手に振る舞っているにもかかわらず、総体として一つの大きな意思に従って行動しているように見える現象の総称」ということになるかと思います。S.A.Cにおいてはスタンド・アローン・コンプレックスは巨大なカリスマの意思が電脳を通じて迅速かつ正確に拡散することによって引き起こされると描写されています。しかし電脳で繋がっている訳ではない現代を描く東のエデンにおいてはそのような伝達手段は存在せず、個人と個人の断絶はより深いものとして描かれている。人々は自らの観測範囲内の情報だけに基づき行動し、個々の振る舞いが総体としてどのような姿を見せるのかを注視しない。ミサイルが降っても日常を営み、ぎゃふんと書かれた答弁書をそのまま読む。そこにあるのは徹底した「他者への無関心」です。

操作される自由意思

 そのような世界の中で、観測範囲内の、行動の基準となるデータを改竄する能力を手に入れてしまったら…それは人の自由意思を操作することに等しい…実際にJuizたちはそうやって人を動かし、あるいは一つの巨大な意思を形成することでセレソンの希望に応えている。このセレソンゲームの黒幕たるMr.outsideは、その術を手に入れた…しかしその力を振るって目指すべき社会の形を想起できなかった…だから代わりにビジョンをイメージできる人物を見いだすこと。笑い男やクゼのように、スタンドアローンコンプレックスの規範となるカリスマを見つけ出すこと。その思想を伝播させること。それがこのセレソンゲームを開催した動機なのではないかと。

ゲームを勝ち上がる「動機」

 ところでホテルインソムニア1109号室(この部屋番号は黒羽と滝沢のセレソンNoにひっかけたものですね)での会話で、黒羽もまたゲームを上がるつもりがないプレイヤーであることが明らかにされましたね。逃亡を謀った近藤、理想を実現したのち消された火浦に続き、黒羽もまた、大儀ではなくあくまで自らの心の欲するままに行動することを是としている。それは、この国の、この世界の未来に対する深い絶望の現れでもある。その中で滝沢だけが、ゲームを上がる意思を見せている…過去を持たない記憶喪失の人間だけが未来に対して絶望を抱かずにいられるという状況設定もなかなかに示唆的です。


 最後に演出面でいくつか。前回第6話からを後編として1本の映画として考えるとこの7話後半というのは映画が始まってだいたい30分くらいの箇所なんですよね。そこで最初の視覚的な山場と、主人公の動機の確認をやっている。これはもう典型的なハリウッド映画の文法なんですよね。テレビアニメとして25分での起承転結の構造をとりつつも、連続してみた時にちゃんと映画としての体を成すようにも設計されているように思えます。

 また最後のどんでん返しも見事ですね。視聴者の緊張をすぅっと解放しつつ、あれ?じゃあ本物の彼はどこに?という謎でもって次回への興味付けをきちんと行っている。ここで緊張がほどけたのは本当に上手くて、殺人鬼である黒羽さんが冷酷な女社長から陰のあるチャーミングな女性へと印象の変更にもなってるんですよね。殺人鬼という属性自体は変わっていないのに、彼女を「敵」と認識する人はもうほとんどいないでしょう。いずれ再登場する機会もあると思いますが、その時どんな立ち位置になるのかなかなか楽しみですね。