「光る宇宙」を読む

 宇宙と書くとソラと読んでしまうのがガンダムオタクの悲しい性ですが、このサブタイトルは普通に「ひかるうちゅう」です。よく間違えます(笑)。

 「あなたの来るのが遅すぎたのよ」。ララァの物語はここに集約される。しかしララァはシャアと出会わなければまたアムロと出会うこともなかったのだ。それをアムロは人の宿命という。ニュータイプであっても時間を越えることはできない。ではララァの命が散った後もアムロとシャアの中に残ったララァはただの幻影だったのだろうか。人はいつか時間さえも支配できるというアムロの言葉は、それは死してもなお残る意識のことなのだろうか。それは今になっても実はよくわからなかったりする。

 ソーラーレイをゲルドルバ照準に合わせるアサクラ大佐は、あくまでそれを任務としてこなしているだけでそこに強い感情は何もない。一方でギレンは父デギンが和平交渉に向かったことを知りながらもそれを伝えることなくソーラーレイを発射させた。しかしそこにあるのは憎しみの感情とは言い難いだろう。敢えていうならば、それは父との関係性の拒絶…虚無の感情とでも言えばいいのか。
 そのソーラーレイの発射を受けてアムロはそれを憎しみの光だと叫ぶ。それは息つく間もなく焼き尽くされた人々の中にいた、ニュータイプ感応能力のある人たちの心の叫びだったのかも知れない、ということをふと思ったり。

 前半に巻き戻ってシャアとキシリアのやり取りについて。シャアの素性を知りつつ、あえて彼を側近に引き込んだキシリアは本気でニュータイプによる人類の革新を信じていたのかも知れない。しかしシャアは果たしてどうだったのだろう。後々になってシャアはララァを「母になってくれたかも知れない」という。それはこの時のララァの心境を理解した上での台詞だったのかもしれない。10年でその程度には人は成長する。しかし本質的にはシャアは人類の革新などというものに興味があったとも思えないんですよね。少なくともこの時点では、ニュータイプを戦争の道具としか考えてない様に見える。結果としてそれだけがシャアに残された大義名分だった。それ以上のものはないんじゃないかとも思います。