本当に守りたかったのはなんだったのか

『白いクスリ』について - 野尻blog

 理想論であると前置きを置いた上での「白いクスリ」事件についての言及。これについて思うところを私も理想論で語ってみたいと思う。法的に正当性があるかどうかと言うことは論じない。そもそも私はニコニコ動画上にある法律スレスレ、あるいは従来の著作権の規定上は明らかに他者の権利を侵害しているような動画についても大好きだから。法を杓子定規に当てはめたらニコニコ動画が今まで築き上げてきたMADやマッシュアップと言った文化のほとんどを否定しなければならなくなる。そんな馬鹿馬鹿しいことはするつもりはない。あくまでこの事件がニコニコ動画周辺の文化にどういった影響があったのか、どうすれば一番よかったのかということを考えてみたい。

 まず今回の件について時系列を追って自分の考えの変遷を記しておく。

 件の動画がニコニコ動画上に投稿された直後、その目に飛び込んだタイトルを見てうんざりし、内容を見てもう一度うんざりした、というのがまず第一印象だった。そして今までの経験上から言って、これはひとしきり動画周辺が荒れ狂った後で投稿者が削除するか運営の削除が入るお定まりのパターンになるだろうな、と考えていた。法律上の問題ではなく、多くの人を不快にするだけの動画は(そこに法的な根拠があれば尚更に)簡単に削除されるのがニコニコ動画という場の通常の風景だったから。

 しかしそのお定まりのパターンに落ち着く前に事態は急展開する。クリプトンによる権利者削除という強権の発動。デッドボールP事件以来1年半ぶりの出来事に界隈が騒然となるのは必然だった。私も当初は注意深く推移を見守りつつも削除という手段については懐疑的だった。放って置いても消されたであろうに何故あえて動いたのか?と。その理由は周辺情報を当たっていってすぐに分かった。マスコミ報道だ。

 あえてPVを稼がせるのも腹立たしいのでリンクを貼るつもりもないが、悪名高いJ-CASTや、ガジェット通信といったネット上のゴシップメディアがアテンションを稼げる酒井法子ネタと初音ミクとを結びつけて面白おかしく報道した。それを参照して一般のゴシップ誌やテレビのワイドショー等でも同様のアングルで取り上げられたらしい。このあたりは未確認なのでどういった報道のされ方をしたのかは定かではないが、概ね想像はつくところである。クリプトンの削除依頼はこの報道を受けて緊急避難的に行われたものだということが推測できた。そこで第一の理想論としては

1.マスコミが偏向報道をしないでくれたら何も問題がなかった。

 ということに尽きる。自分でも笑ってしまうくらい理想論だが、そもそも初音ミクという固有名詞を使う必要のない文脈でそれをあえて強調するというのは悪意以外の何物でもないでしょう。なので彼らに自制を期待するというのが非現実的であるというのであれば第二の理想論としては

2.クリプトンは不当に商標を貶めたマスコミに抗議するべきだった。

 とは言えるかもしれない。とはいえマスコミを敵に回すリスクは高い。クリプトンのような大口スポンサーになり得ない程度の中小メーカーの抗議をまともに取り合ってくれる可能性は正直言って低い。それでもあえて抗議することで得られるものも少なくなかったかもしれない。こればかりは腹の括り方の問題なので外野がやいのやいの言えることでもない。が、振り返ってみて、あくまで理想を貫くのであればこの対応こそが唯一の正解だったのかも知れないと思わなくもない。

 ともあれ、マスコミの自制を期待するのも無駄、直接コトを構えるのもリスクが高いとなると、騒動の発端であるところの動画を取り下げてもらうというのが解決策として妥当と考えても特に不自然はない。この際留意したいのは、あくまで削除は騒動を丸く収めるためであって表現の幅を狭めることが目的ではない、ということ。であれば第三の理想論として

3.この時点でニワンゴと事前に協議した上で、運営削除あるいは投稿者による自主削除を促すべきだった。

 ということになると思う。もしこの措置が取られていた場合は、今回は運営対応早いなくらいに思われる程度で、特に誰も不自然に思わず遠からず忘れ去られることになったかと思われる。投稿者にとっても、当該の動画が削除されるという以上のダメージもなく、今後も創作活動が続けられたのではないかと思う。投稿された動画自体に引くに引けない自己表現があるのであればまた話は別だが、その後の経過を見てもそこまでの思い入れのある制作物ではなかったことは想像出来る。しかしコトはそうはならず、クリプトンの要請による削除という異例の事態がよりセンセーションを引き起こすという事態に陥ってしまった。

 原因はクリプトンも声明を出している通り、ニワンゴとの意思伝達が不十分だったということだろう。クリプトンがユーザーの創作活動に制限をかけるつもりがなかったことは、当初アナウンスで利用規約を削除理由に持ち出さなかったことでもおよそ推察出来る。デッドボールPの時は規約を盾に取ることで明らかにユーザーの表現に対して圧力をかける形になってしまっていたが、それが間違いであったことは既にクリプトンは理解している。今回の対応を見た上でそう信じている。そうである以上

4.コトが大きくなってしまった以上は、騒動が収まるまで耳をふさいで全ツッパすべきだった

 これが期待すべき態度で、実際にそのようにクリプトンは動いていたように思う。あのくだらないチャチャが入るまでは。どこかの誰かがクリプトンの物言いは筋が通らないのではないかといった話をしたせいなのかどうかは実際のところは分からないが、ともかくニワンゴは突如クリプトンの依頼には根拠がなかった等と言い出して特例中の特例として件の動画を削除から復活させてしまった。この対応は考え得る限り最悪だったとしか言いようがない。これで動画制作者は完全に退路をふさがれてしまった。

 場の提供者による削除ということであれば、動画作者は、ニコニコ動画という場では自分の表現が受け入れられなかった、というだけの話で済む。公序良俗の基準を運営が削除という形で示してくれるのならば作ったものの社会的責任を自ら負う心配も少ない。言ってしまえば甘えである。だけれども、ニコニコ動画上のMAD文化、パロディ文化といったものは、ニコニコ動画の運営が防波堤になって制作者に直接累禍が及ばないような形になっているからこそここまで隆盛したんじゃないかと。この対応はそんな防波堤はないよと動画制作者に突きつけたに等しい。善悪の判断は我々はしないので消すか残すかは自主判断で。なんて言われたら危険領域に接するような動画を安心して投稿することが出来なくなってしまう。

 自らのリスクで発表するのであれば別にニコニコ動画という場を介する必要は何もない。もちろんアテンションを得られる場であるというのは間違いないが、例えばYouTube等と比べてそれほど極端に優位性があるわけでもない。ニコニコ動画運営の傍若無人とも言われる削除に対する姿勢こそが、むしろ逆にニコニコ動画上での自由な表現を守ってきたんじゃないのかと。

 ともあれ削除の復活は行われてしまった。非常に残念な事態ではあるが、起こってしまったことは覆せない以上、この事件を礎にして動画投稿者にとってより良い環境を整えてもらうしかない。そういった施策はまだ採られていないが、今後の為に最後の理想論を述べておく。

5.ニワンゴは、動画の削除に際して「トラブル時の責任を全面的に負うのであれば削除しない」という選択肢を用意すべき

 これが現在の結論。繰り返すけど法的に正しいとか筋が通ってるとかそういった話はするつもりはないです。本当に守りたいのは何なのかってことを考えていけば、それは動画制作者がリスクを恐れずに今後も多様な表現が出来る場を確保することに他ならないわけで。今までは(実態はどうだったかはともかくとして)ニワンゴがクッションとなって動画制作者と権利者が直接ぶつかるリスクを避け、時に権利者側とニワンゴが交渉を持ってグレーだった動画を公認してもらうような場面も何度もあった。この段においてはニコニコ動画とユーザーの間には健全な信頼関係が結ばれていたんだと思う。しかし今となってはもはやその信頼関係は望めない。であれば、動画の削除はあくまで動画投稿者を守るためであることを改めて周知した上で、削除するか否かを投稿者が選べるようにするのが、今回ニワンゴが取った行動と矛盾しないで前向きに解決できる唯一の方法何じゃないかなと思うんですよね。