良いネームとは何か
漫画について評するとき、時折「ネームがよい」という表現をすることがあります。ネームというのは、完成原稿になる前にコマ割りや人物配置、セリフやト書きをラフ描きした漫画の設計図のことですね。これは考えると少し変な話で、ネームがよいという時はその漫画の完成原稿を見て「設計図がよいね」って言ってるんですよね。設計図というのは基本的に漫画の構成要素全てを含んでいます。ということはそこに何らかの意図がないと「ネームがよい」というのはただ単に「面白い」の言い換えということになってしまう。
にも関わらず私は結構「ネームがよい」という表現を多用するのですが、私はこれを「漫画特有の技術によって動的な時間経過や人物の内心が表現されている」と思った時に用いています。
1つ具体的な例を出すと、サンデーに「都立あおい坂高校野球部」と「クロスゲーム」という2本の高校野球漫画があります。これはどちらもととても良く出来た漫画なのですが、「あおい坂」の場合はコマ割りや画面構成については基本に忠実なオーソドックスなスタイルなんですね。だから「あおい坂」を評するときには「ネームがよい」とは言わずに、個々の演出や展開の良し悪しについて語ることになります。
それに対して「クロスゲーム」の場合はその表現技法によって、臨場感やキャラクターの細やかな内心のあり方というのが、これでもかというくらいに直接響いてくる。そういう漫画に出会った時にはまず第一声として「すごいネームだ」という言葉がついて出るんですね。
逆に言えば、セリフや状況描写から意図は推測出来るけど、体感として伝わって来ない、それが概ね技法的な要因によるものの場合「ひどいネームだ」ということになります。
注意したいところは、「ひどいネーム」とまで言われるものは、最低限の基本にすら届いてない代物のことなんですよね。そういったものが商業誌に載っている場合、それは作家自身よりもそれを通した編集者の罪が大きいと思っています。