インビクタスの描く奇跡
この映画をクリント・イーストウッドが撮ったということをまず心から喜びたい。世界の理不尽、人が人を赦すことの困難を描き続けてきたイーストウッドだからこそ、この物語は輝きを増す。この映画で描かれるネルソン・マンデラの起こした奇跡は、実話である。事実は小説より奇なりとは言うが、もしこれが実話でなかったら、こんな都合のいい話はないよと一笑に付されてしまうほどの奇跡。
この映画の演出はとても抑制が利いている。普通の映画であればここで盛り上げるためにピンチを描くであろう場面で、何も起きない。更に言ってしまえば、ピンチとしてクローズアップ可能なエピソードも殊更にクローズアップすることなく、淡々と描かれていく。その一方で、マンデラがときおり見せる強い信念、そして周囲が変化するまで辛抱強く待つ姿勢というのを丹念に描いていく。
マンデラが、南ア代表のラグビーチーム「スプリングボクス」の主将ピナールを官邸に招待する場面は、この映画のひとつの象徴的な場面だ。この出会いによってピナールはマンデラに感化されるが、そのピナールが受け取ったものは簡単には他の選手たちには伝播しない。選手たちが変わっていったのは、もう一つのマンデラの仕掛けである、ラグビー教室を通して黒人の子供たちとの交流を経てからなんです。南ア代表も当初は弱小チームとして描かれているものの、それはけして地力がなかったわけではなく、ただ誇りと自信を失っていたがために実力が発揮できなかっただけなんだということがマンデラの口から繰り返し語られる。エンターテイメントとして考えたらもっと劇的な超克が描かれてもおかしくない場面も、あくまで冷静に描かれていく。その当たり前の事を当たり前にやるという姿勢を見せられるだけで、自然と涙がこぼれてくる。何も奇を衒わないからこそ、南アの国民が人種や民族の違いを越えて心を一つにしていくことにリアリティがでてくる。
選手たちが、ピナールの発案でロベン島の監獄―マンデラが18年にもわたって収監されていた独房―を訪れた時もまた、多くは語らない。あまりにも過酷な半生を歩んできたマンデラが、それでもなお人を赦す心を揺るがせないことの想像を絶する困難さに思いを馳せるのみである。マンデラがやったことはただ一つ。信じていると臆することなく表明する事。そのあとはただひたすら待つのみである。
マンデラの生き様、その指し示した道というのはやはりイーストウッドの目指してきた理想そのものなんだと思う。現実には南アフリカの民族問題は完全に解決したわけではないし、おそらくは様々な思惑が交差したであろう改革の実行者、前大統領デクラークの存在はほぼスポイルされている。そのあたりを取り上げて、物事の美しい面だけを描いているという批判は可能かも知れない。
それでもやはり未来を照らす光として、あえてこの映画では影を描かなかったイーストウッドの選択を、私は支持したいと思う。