もしも都条例でネコの飼育が禁じられたら

 これは思考実験です。ある日突然、都条例によってネコの飼育が禁じられた未来というのをちょっと想像してみてください。理由はなんでもいい。例えばテレビでネコと暮らすことの有害性を説く言説が流布され、それを世間が真に受けたところに極度のネコ嫌いの為政者が強引にねじ込んだ、とかそんな感じで考えてみてください。

 こんな無茶な条例が施行された時、人々はそれぞれどのように動くでしょう。まずは愛猫家の立場から考えてみます。もしも条例施行前に世間のネコに対する風当たりが強くなっていたとしたら、その時点でネコを飼っている人は相当なネコ好きである蓋然性が高いと思われます。

 彼等彼女等が条例を受けて簡単にネコを手放すかと問うてみれば、まずほとんどの人は決して手放さないでしょう。結果、ほとんどの愛猫家は世間から身を隠すように巧妙にネコを飼育する方法を考案していくでしょう。

 それでも一部の愛猫家たちは、類禍を恐れた周囲の人たちに説得されあるいは強引に取り上げられ、ネコを手放すかも知れません。その時の愛猫家の気持ちを想像してみてください。その耐え難い悲しみ、絶望、世間に対する怒り、憎悪…おもんばかるに胸が痛みます。

 次に積極的なネコ嫌いの立場で考えてみましょう。条例施行前までは忸怩たる思いがあっても、ネコの飼育は個人の自由だから仕方ない、自分や自分の周囲に害がない限りは目を瞑ろうと考えていた人でも法的な根拠を得れば行動が変わっていきます。ネコをこの世から追放することが社会正義だと強く信じ、隠れてネコを買う愛猫家たちを指弾し告発することに躊躇がなくなることは想像に難くありません。

 この結果、愛猫家とネコ嫌いの人の間に決定的な対立が発生します。それまでは互いに腹立たしく思っていても、互いの領域を侵犯しない限りは共存していた彼等がそれぞれの生き残りを賭けた全面的な戦争が始まります。法の後ろ楯のない愛猫家は地下に潜りより結束を強くして、非合法な手段も含めてあらゆる手を尽くしてネコとの生活を守ろうとするでしょう。そして非合法に手を染めることで益々ネコ嫌いの人達の正義感を煽り立て対立は激化します。治安は乱れ人々は疑心暗鬼に陥りネコ嫌いでも愛猫家でもない普通の人々の生活にも甚大な悪影響をもたらすでしょう。

すでに社会に定着したものを禁止する危険性

 言うまでもないですが、これは児童ポルノの単純所持の問題を言い換えた話です。児童ポルノ…この場合は特にイラストや文章で構成されたいわゆる「非実在青少年ポルノ」に限定してもいいかも知れませんが、それ自体が青少年の人格形成にどれ程の影響を与えるのかについてははっきりしたことは何も言えません。あえて言うならばこういった表現物が産まれてから数十年たった今でも取り合えず社会は平穏に回っており、少なくとも中短期的に大きな害が現れることはないだろうということくらいです。

 しかしこれだけ広く社会に浸透してしまったものを「根絶」を目標に掲げて排除しようとすればどのような悪影響があるか、ということは論を待つまでもなくあきらかです。よく引き合いに出されるアメリカの禁酒法はまさに上記の未来図そのままの光景が繰り広げられたことは記憶にとどめておくべきでしょう。

 性急な排除の理論は社会に強い負荷を与え時に大破壊を引き起こす可能性が高い。だからそれぞれに理想とする社会像、目指すべき未来像があっても、すぐに目に見える結果を求めるのではなく、今の現実の社会とクラッシュしない、緩やかな変革を考えていくべきでしょう。少なくとも私はそう考えています。