ニコニコ超会議とはなんだったのか

 幕張メッセを借りきって2日間に渡って開催されたお祭り「ニコニコ超会議」。心配されていたような大きなトラブルもなく無事閉会したようですね。私は現地には赴かず、自宅でPCでの視聴のみの参加でしたが、現地組のレポートやPCの画面を通じて感じたことなどを少し書き留めておこうかと思います。

ニコニコ超会議2018 公式サイト
[ #chokaigi ] ニコニコ超会議2012関連記事まとめ | ギズモード・ジャパン
http://www.kotaku.jp/2012/04/nicocho12_roundup.html

ニコニコ動画を地上に再現できたのか?

 まず最初に開催前に超会議に抱いていたイメージを述べておくと、「出展者として準備している人たちは楽しそうだなー」「特定の目的があって現地へ赴く人は楽しみだろうなー」といったもので、これは裏を返すと、特にこれといった目当てもなく横断的に会場を見て回るにはおそらく適さないイベントだろうなと考えていました。

 この予想は、半分当たって、半分間違っていた。とにかくイベントの数が膨大すぎてPCから視聴するのにもジャンルを絞ってザッピングするしかない。ましてや現地に行ったら目当てのものを見るだけでほとんど手一杯になってしまうだろうというのはだいたい予想通りだった。予想と違ったのは、現地に行った人たちが目的のブースに辿り着くまでにすれ違った「異物」のカオスさに一様に驚いていた、ということですね。

 このジャンルごった煮のカオスさというのはまさにニコニコ的なもので、それは横断的にいろんなジャンルを普段からつまみ食いしている人にとってはニコニコ動画という場の前提認識なのですが、実のところ新しくニコニコ動画の視聴者になった人たちというのはこのジャンルごった煮感というのはあまり実感しておらず、自分たちの興味のある範囲内にしか目が届いていなかったのかなと。

 それがニコニコ超会議というリアルのイベントに参加した人は、自分がまったく興味のないジャンルにも膨大な人たちが群がり盛り上がっている様子を肌身に沁みて感じることが出来たのではないか。もしそうだとしたら、それだけでもこの超会議というイベントは成功だったのではないかと思います。

受け継がれる妖精三信

 この超会議のカオスぶりの象徴となったのが、今回3度目の来日となったニコニコの兄貴ことビリー・ヘリントン氏の存在ですね。

ニコニコ超会議2018 公式サイト
妖精哲学の三信とは (ヨウセイテツガクノサンシンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
「だらしねぇな」から始まる哲学―ガチムチ動画とビリー・ヘリントン人気についての一考察― - 未来私考

 「だらしねぇな」「歪みねぇな」「仕方ないね」この3つのフレーズの下にダメなものはハッキリとダメといい、素晴らしいものは惜しみなく賞賛し、その上でどうしようもないものには仕方ないねと許容する。その体現者たる兄貴が会場を練り歩くことで、兄貴を知る人達はその精神を意識せざるを得ない。超会議が大きな混乱なく終わることが出来たのは兄貴率いるビリークルーズ隊の存在が大きかったのではないかと思います。

ドワンゴ川上会長と夏野取締役が語る「ニコニコ超会議」 10万人を「ごった煮」の渦へ (1/5) - ねとらぼ

超会議はニコニコ動画のオリンピックを目指すべき

 とはいえ今回のこのイベント、様々な問題が浮き彫りになったことも事実で、例えば初日の一般入場入り口のモギリに3人しか配置せず3時間待ちの長蛇の列が出来るなど特に運営の会場での仕切りには非難の声が多く上がっていますね。これは明らかに準備不足で、また参加したジャンルも既にイベント開催実績のあるジャンルや企業ブース、あるいは技術部や車載クラスタ等もともと機動力の高く運営が渡りをつけやすいジャンルが優先されて、ニコニコ動画上で大きな存在感のあるMAD等の権利的に面倒くさいジャンルは概ねスルーされたという不満の声も聞こえてきます。これは短い準備期間の中でイベントを実現するために仕方のなかった側面もありますが、この体制のまま毎年開催する定期的なイベントにするというのはちょっとありえないな、と。上記記事で川上会長も言っていますが、少なくとも来年は開催しないという判断はとても正しいと思います。

 では超会議はこれっきりでもう開催しないほうが良いのか、と問われれば是非2回目をやるべき、とも思っています。今度はもっとしっかりと準備期間を置いて。より多くのニコ厨、より多くのニコニコ動画上のジャンルを巻き込んで。個人的には、オリンピックよろしく4年後の開催を宣言するくらいが丁度良いんじゃないかな、と思っています。
 4年後なんて世の中がどうなっているかまったく想像がつかない。ニコニコ動画でいったいどんなジャンルが流行るのか、そもそも今の規模感を維持できるのかすらもわからない。でも、だからこそ今は陽の目の当たっていないジャンルも隆盛を誇っているジャンルも横一線になれるし、超会議の熱気を引きずったまま、第2回超会議という「外の目」を意識して振る舞うというのは結構面白いんじゃないかなと。

 例えば今回会場の物販コーナーで販売され大きな話題となったこの商品。
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ニコニコ超会議だけ! - necomimi

 これを見て「これを超会議の入場券代わりにしたら面白いんじゃね?」なんてアホなことを思ったりもしたんですが、4年くらいの期間があればそういうくだらないアイデアもまじめに検討が可能かもしれない。検討した結果「やっぱりねーよ」となるかもしれないけれども、こういうバカバカしいアイデアに何らかの実用に用いる検討をするってそれだけで面白いと思うんですよね。思いつき自体は、単純に会場を埋め尽くすnecomimiを見てみたいというだけの話ですし、超会議関係なく街でみんながnecomimi装備してくれたらもちろんそのほうがずっと楽しいな、とも思うわけですがw。

みんなバラバラでちょうどいい

 ともかく、ニコニコ超会議は、「みんながみんな違うニコニコ動画像をイメージしている」ということがハッキリと可視化されたことが一番良かったことかな、と思っています。ニコニコ動画というプラットフォームはもはや広大すぎて、その全体像を把握しきれている人はもう誰もいない。ジャンル横断的に眺めている人も、それぞれ重なる部分と重ならない部分があって、それで全体として緩やかに繋がってニコニコ動画という場、ニコ厨という「雰囲気」を作っている。それは外から見ると一見ひとかたまりのようにも見えるけど、こうして「地上に再現」してみると、実はてんでバラバラな人たちの集合だったんだということが誰の目にも明らかになる。先のインタビューでの川上会長の言葉を見ると、そういった効果を狙ったものだったのかな、と思いますし、もしそうだとしたらやはりこのイベントは大成功だったのではないかと思います。

 そしてやはり、最初に予想していた通り、このイベントは出展者の側に回ってこそ一番面白い。それはTwitter等での参加者の報告を聞いていても改めて強く思うことでした。どんな形であれコミットしていったほうが面白いというのはニコニコ動画の本質的な部分ですし、もし第2回があれば何らかの形で自分も参加してみたいものだな、そんなふうにも思います。