謝辞と補足

アニメはすでに払いたい人だけが払うビジネスモデルになっている - 未来私考

 前回のエントリに予想以上の反響をいただきありがとうございます。ブログ開設以来の目標のひとつだったHOTエントリ入りを果たせました。ちょうど30万アクセスも突破したようで、感謝感激です。

 はてなブックマークをチェックしたときの関連エントリーがあんまりにもドンピシャだったので、ちょっと抜き出しておきます。

今お金を「払えない」層の未来も考えたい - 敷居の部屋
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080130/1201711942

 sikii_jさんとy_arimさんのエントリ。このやりとりが、私がアニメビジネスのあり方について考え始めたきっかけだったんですよね。特にy_arimさんのエントリにはとてもいろいろ考えさせられて。この国のテレビ文化に親しんで育ってきた人たちにとっては、映像コンテンツはただで見て当たり前という感覚は深く根付いていて、それを変えるのは用意ではない。かといって、お金を払う意思のある人だけを囲い込んでその小さな輪の中だけで回していても、それは文化の緩やかな死でしかない。それではいったいどうすればよいのか。それを考えて考えて考えて出た一つの答えが、

  • それに誰がお金を払っているのかを可視化することで、タダで見れるものも自分以外の誰かが対価を肩代わりしてくれているという認識を広めること

 だったんですね。

 ただ、それをそのまま言葉にしても、おそらくはほとんど伝わらない。チャンスをうかがって、策を練って、駄目なら何度でも手を変え品を変えそれを発信していく。そうゆうつもりでいて、前回と前々回のエントリは、その第一手だったんですね。幸いにもいきなり注目をしていただけたのですが、これからも同様の趣旨の事を機を見て繰り返して書いていこうと思っています。ですので、今はこいつ何言ってるんだかさっぱりわからないと言う方も、なんとなしにでも、変なことを言ってる奴がいるなあ位に覚えておいていただければ幸いです。言葉一つで何かが変わるなどとは思っていませんが、言葉が2つになり3つになり十数、数百になっていけば、何かが変わるきっかけくらいにはなれるかも知れないという、まあ遠大な夢想ですね(笑)。

 作り手と、成果物にお金を払う人と、お金を払わない人と、それぞれにそれぞれの立場があり、それは罵りあったって何も生まれない。我こそが正義とまくし立てるのではなく、他の立場の人がいるからこそ全体が成り立っている、それぞれが寄り添って生きているという認識を少しでも広めたい。

消費者と制作者の間に信頼関係が築けるか? - Obra de Sobra よしなしごと

 少なくとも、作り手の多くは、受け手を信頼してくれている。であるならば、その信頼に応えられるような道を探っていきたい。その道はあるはずだ。そう考えています。