「まおゆう」原作とアニメ版の読み比べのススメ

2009年に著されて以来、書籍、コミカライズ、ドラマCDと幾度も版を重ねてきた物語のアニメ版が地上波テレビ及びニコニコ動画でいよいよ放送が始まりました。「まおゆう魔王勇者」の原作にあたる2chスレッド『魔王「この我のものとなれ勇者よ「勇者「断る!」』は今もまだまとめサイト等で読むことができます。アニメ版は原作を下敷きにしつつも映像によって情報が足された分、さまざまな翻案がなされているのですが、その違いについて見比べ、読み比べて気付いたことについて、少々解説をしてみようかなと思います。なお、これはあくまで解釈の一つであって、地の文がなくセリフで全ての情景描写が行われるという原作の性質上、読み手によって受け止め方に幅がある作品であるということはあらかじめ断っておきます。

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 - ゴールデンタイムズ

挿入された登場人物たち

まず大きく目を引く改変は、魔王と勇者の掛け合いの合間合間に他の人物の会話が挿入されている点ですね。アニメ1話で語られた部分は原作ではすべて魔王と勇者2人だけの掛け合いなのですが、魔王による戦争経済の解説部分が大幅に省略され、それぞれ別の登場人物のセリフとして紹介されています。これは魔王が語るこの戦争に対する認識が魔王独自のものではなく、この時代の支配階級にとってなかば常識となっていることを表現しているのだろうなと考えます。

また、これは書籍版で既に追加された要素ではありますが、表題タイトルのセリフ『魔王「この我のものとなれ勇者よ」勇者「断る!」』の前に導入として世界の状況、勇者の仲間たちの存在が明かされている点も大きな違いですね。これはオープニングアニメも含めてこの物語が壮大な群像劇であることを印象付けるために必要な情景描写であると思います。

大幅に削られた魔族側の事情

追加された情景がある一方で、大きく削られた部分もあります。特に目立つのは魔王の自身の限界を表明するセリフ、魔族側の事情に関するセリフの多くが削られている点です。原作における魔王は自身の知識をひけらかしつつも、自身にできることの限界を示す言葉が何度となく挟まれています。例えば戦争を終わらせることができない理由を語った後に原作にはこんなセリフがあります。

魔王「まぁ魔王の云うことだから嘘かも知れないけどね」
勇者「嘘なのか?」
魔王「少なくとも私は本気だ。もしかしたら避ける方法があるかも知れないけれど、私は知らない」
勇者「……」

また、「あの丘のむこうが見たい」という魔王に対し原作では以下のような問答があります。

勇者「……勇者になりたいのか?」
魔王「近い。でも、違う。だって私は学者なのだろうし、いまのこの身は魔王だ……」
勇者「……」
魔王「やってて幸せとは云えないけれど責任を感じるし他の誰かに押しつける気はない。
 勇者じゃない私が、勇者になりたいなんてそんな夢物語で時間を浪費するつもりはないんだ。けれど」
魔王「見たことがない物は、見てみたい」

魔王の知識の限界、魔王自身にできることできないことについての率直な表明をするこれらのセリフが軒並み削られている。また魔族側にも様々な派閥があり、魔王の支配体制もけして磐石ではないといった語りもバッサリと省かれている。これによって一見して魔王の語りの正しさが強調されているようにも見えますが、一方でそのもっともらしさがかえって胡散臭さを感じさせるようにも見え、なかなか興味深いところです。この後の展開による魔王の信念の変化はこの物語の大きな魅力のひとつなのですが、その落差を感じさせるため、あえてこの一話では留保を挟む要素を伏せたという可能性もあり、今後どのような描写を盛り込んでいくのか注目ですね。

幻影ランプによる情景描写

アニメならではの変更点が、魔法のランプによる情景の描写の強化ですね。会話のみで進められるという原作の性質上、映像にした時に場面転換の少なさがネックになるという危惧があったのですが、この手法はなかなか見事です。原作ではかなり後半になって語られる勇者の幼い頃の思い出、勇者と出会う前の魔王の痴態について第一話に盛り込んできたのも面白いですね。第1話からキャラクターのバックボーンの片鱗を見せるというのは、魔王と勇者というプレーンすぎる人格に対するアクセントとしてうまく機能しているように思います。上記の魔王の能力の限界の語りが原作においては魔王のチャーミングさを補強しているところもあり、そこを削った分の補完という意味合いもあるのかもしれませんね。

挟まれた勇者のセリフの意味

さて、この第1話のオチとなっている魔王の痴態の直前に、実はなかなか興味深くも大きな改変点がひとつあったりします。
原作においてはこの場面の最後を締めくくる魔王のセリフの前後に、勇者のセリフが挟まれているんですね。

勇者「お前は覚悟は出来ているのか、魔王!」
魔王「もちろんだ。わたしは勇者と今後一生離れる気はないんだからなっ」
勇者「当たり前だ!」

上記はアニメ版のセリフですが、前後の勇者のセリフは原作にはまったくないものです。ここで勇者と魔王の主導権が入れ替わっているのが面白い。契約について多少の後ろめたさのある魔王に対して一度決意したことに対してはまっすぐ迷わないという勇者の性質がこの短いやりとりで表現されているんですね。

もうひとつ印象的だったのがアニメ版1話の最後を飾る以下のカットですね。

魔王の角が着脱可能というアイデアはもともとは最初期のまおゆう二次創作のひとつ、七積ろんち版の動画でもされていたものなのですが、今回のアニメでは魔王を象徴する角と対応するものとして勇者のヘアバンドを並べて、その二つを置いて旅に出るという場面で締めくくっているんですね。この1カットで、魔王と勇者が与えられた役割から逸脱して世界に立ち向かっていくという本作の方向性を見事に表している。これは本当に丁寧にシリーズ構成を考えた結果の改変なんだなあとしみじみと感心してしまいます。

以上、ざっくりとアニメ「まおゆう」と原作を読み比べながら感じたこと、考えたことを綴ってみました。これだけにとどまらず、読み手によって様々な発見、解釈があるのではないかと思います。もしアニメを見て心に残るものがあったなら、あるいは原作を先に読んでアニメ版の変更点にピンと来なかったりしたならば、両者を改めて見比べて読むことをオススメしたいですね。

今回のアニメ化は全13話ということで物語の途上までしか語られないことは確定していますが、そのあたりも含めて、今後どのような改変を行うのか見守っていきたいですね。