20xx年のゲーム事情
※この物語はフィクションです。
20xx年某日
「プロデューサーさん!朝ですよ!」
スマートフォンから流れる女の子の声で目を覚ます。彼女はとあるソーシャルゲームから生まれたゲームキャラクター。最近のスマートフォンには、こういった対話型の秘書機能が標準で付いている。かつてiOSの一機能として世に知れ渡ったそれが、その音声やアバターがアニメやゲームのキャラクターにとって変わられるのはこの国では時間の問題だった。
「今週発売のゲームって何があったっけ?」
こう尋ねるだけであらかじめ登録しておいた興味範囲にそって的確な応えが返ってくる。
「水曜日の15:00からスト拳ファイターXXの新キャラクターのリリースがありますよ〜あとドラゴンファンタジー13-13の先行プレイ日ですっ」
そうだった。随分前に予約したあの大作RPGの新作がついに発売されるのだ。ぼくが買ったのは初回限定生産特典付きのプレミアムパッケージ版。ダウンロード販売が主流になった今でもこういった特典付きのパッケージはまだ生き残っている。と言っても大半の人はダウンロードで済ませて、パッケージを買うのはコレクターやシリーズの熱心なファンだけなのだが。
先行プレイ日というのはこのパッケージ版を買った人だけに与えられるスペシャル特典。なんと、正式リリースより1日
早くダウンロードしてプレイ出来るのである。そう、パッケージは買っても基本的には開封すらしない。インストールもあらかじめ予約していれば勝手に終わっていて、テレビのスイッチを入れるだけでいつでも始められる。まったく手間いらずになったものだ。
最近のRPGは章立てになっているものが多く、このドラゴンファンタジーも例外ではない。全8章のうち第1章は無料で誰でもプレイ出来て、第2章以降は1章1000円といった寸法。もちろんパッケージ版は最初からオール・イン・ワンだ。
よし、金曜日の夜は徹夜でクリアするぞ。レベル上げももう十分にしたしな。
そう考えて、そういえば昔はゲームをプレイしながらレベル上げをしていたんだよなあ、とふと懐かしいことを思い出す。ストーリー進行とレベル上げが分離されているのが当たり前になったのももう随分前だ。今時の大作RPGは先行リリースされたソーシャルゲームと連動して、あらかじめレベル上げを済ませておける。ボタンをポチポチと押すだけの単純なゲームだが、世界観のフレーバーをあらかじめ味わうことが出来るため、複雑で壮大なストーリーにもスッと馴染め、何時間も没頭してプレイすることが出来る。大作と言っても通しで15、6時間もあればクリアできるので休日を丸一日潰す趣味としては最適だ。
水曜日に新キャラがリリースされる格闘ゲームももう随分と長い付き合いになるタイトルだ。格闘ゲームの長寿の秘訣はこうして定期的に新キャラクターを投入してゲームバランスを変えていくことだなあとつくづく思う。ぼくは月額1000円のプレミアム会員だが、このゲームもまた多くの人は無料で楽しむことが出来る。月に10クレジットまでは無料登録で自由にプレイすることが出来るし、対戦を申し込むのではなく、申し込まれる側になればその制限もない。もちろんプレミアム会員になればまったく無制限だし、アバターアクセサリ購入のためのメダルもついてくるので損をしている気分にはまったくならない。むしろ対戦相手に困らなくてありがたいくらいだ。
アバターアクセサリはプレミアム会員でなくても勝負に勝ってポイントを貯めれば購入でき、みんな自分のキャラクターを個性的に着飾って見ているだけでも楽しい。この格ゲーのキャラクターをスマフォの秘書にしている人も多い。
「あと、○○さんからゲームの招待メールが届いていますよ」
おっと、あいつからの招待ならなかなか期待できるな。あとでプレイして、感想を伝えなきゃ。
招待メールで新作ゲームに友達を招くという販促方法も随分前からすっかり定着した。今時のゲームはほとんど全て無料で始めることが出来るが、数が多すぎてどこから手をつけていいのかわからないのでこういった招待メールはとてもありがたい。
昔は招待メールを無料で送ることが出来たため、誰彼構わずメールがばら撒かれてスパムのようになっていたのだが、最近は招待1件成立ごとに有料の招待券を消費するので本当にオススメしたいゲーム以外のメールが来ることはまずなくなった。もちろん、送った側もその価値に見合うだけのゲーム内アイテムを手に入れられるわけだが、何百通も送ってその全部に招待を受けられてしまってはたまらないので送る相手も自然と厳選される。自分も月に2~3000円くらいは招待券を購入して友達に送っている。
かつて、ネットのものは全て無料になると言われていた時代があった。ゲームは全て単純なクリックゲームに取って変わられると言われた時代があった。そう思うとなんだかとても懐かしいような気分になってくる。現実、確かにほとんどのゲームは無料で遊び始めることが出来るようになった。そのおかげでゲーム人口はそれ以前の何十倍と膨れ上がることになった。そうして、ゲームに対して無料で始めて後からお金を払うというスタイルがごく自然に、すっかり定着した。
何千円とするパッケージをほんのちょっとの前情報だけで博打的に買っていたあの時代というのは今から考えると狂気じみていたなあとすら思う。もちろん、それゆえに生まれた文化というのもあったわけなんだが。ゲーム人口の膨大化は単純なものも、複雑なものも、万人向けなものも、ニッチな趣味人向けのものも、ありとあらゆる形のゲームを受け入れる土壌ともなった。
本当に豊穣な世界というのは、つまりこういうことなんだろう。
ふと昔を振り返りそんなことを思う、今日は20xx年4月1日。