Landreaall(ランドリオール)は歴史物語である

 待望の、おがきちか作「Landreaall」13巻が発売されましたね。

 この巻では、主人公DXが不在の学園で、突如現れたモンスターに立ち向かったアカデミー生徒たちが、自らの役割を理解していくという群像劇が展開されるのですが、いやはやとにかく面白い。表紙がまた素晴らしいのですが、amazonの販売ページにまだ画像が掲載されていないのですが…カイル、ライナス、ルーディー、ティティ、フィル、イオン。この騒動の中で中心となって動いていく6人が円環になって繋がっているという構図は、まさに今巻を象徴するにふさわしい絵で、是非お手にとってお確かめいただきたい。

 上に上げた6人の他、とにかくたくさんのキャラクターが、自らの意思を持って行動し、物語が紡がれていく。それがこれまで物語を追ってきた人にとってはとにかく自然で、まるであらかじめこの場面を描く為に今までキャラクターを積み上げてきたんじゃないかと思えるくらいに見事なんですよね。特にティティとフィル、そしてイオン。役割と責任。今できる最善を尽くす事。その空気が学園全体に響き渡って一個の騎士団を形成するくだりは、まるで歴史絵巻の一場面を見るような感慨があります。

おがき先生のキャラクター造詣術

 一見して膨大で複雑な関係性に裏打ちされた物語をなぜこうも見事に描く事が出来るのか。それは、おがき先生のキャラクター造詣術に秘密があると思うんですね。

http://d.hatena.ne.jp/CAX/20051130/ogakichika

・キャラクターの性格付けとかも最初から?

彼らの人生にこれから先、何が起こるか考えて、どんどん頭の中にメモっていきます。実際にまんがとして描くとしてもかなり先のことなので、描くかもしれない出来事についてはその間に詳しく考えていきます。だからキャラクターが自分から何かやろうとするのではなくて、用意されている出来事にキャラクターが突入していくという感じです。

 こちらに3年前の雑誌インタビューをまとめられた記事があるのですが、おがき先生はキャラクターを立ち上げる時に彼らの人生を丸ごと考えるんですよね。それは年表のように詳細なものではなく、恐らくは将来どんな職業に就いて、奥さんはどんな人で、子供は何人いて…みたいな大雑把なアウトラインなんだと思いますが、これがおがき先生の作劇術の根幹にあるもの何じゃないかな、と。

 例えばフィルというキャラクター。彼はおそらくは、DXに庶民の友達が欲しいよねと思って産み出されたキャラクターなんですね。貧民街出身の乱暴者。それだけならよくあるキャラクターです。しかしおがき先生は、フィルを産み出す時に同時に、竹馬の友のティティというキャラクターを想像し、彼とフィルが一生涯の主従となる未来を想像するんですね。そのイメージを原動力にフィルは思いも寄らぬ出会いと成長を得ていく事になる。それはティティも同じで、皇位継承権を持つ大貴族の子息であるティティが貧民のフィルと知り合う過去を想像し、また将来国を担うような人物になる未来を想像する事で、ティティという人格が自然に浮かび上がってくる。

 危機が峠を越えたところで軽口を言い合う2人。もともと報恩関係という絆で結ばれていた2人が、身分という壁を越えて本当の信頼を得た瞬間。ああこの2人は一生こうやって共に歩んでいくんだなあと、遠い未来にまで想いが及ぶ。ライナスとルーディー、カイルとイオン、あるいはハルとジア。彼ら彼女らの輝かしい未来が糸となって紡がれて、その一つ一つは小さな出来事の積み重ねでしかないんだけど、それが織り重なることで壮大な歴史が編まれていく。そこには、人は人と出会う事で変わっていけるという想像力があるんですね。

目指すべき未来のために今為すべき事

 小さな命を守る為に非力な学生たちで結成された、即席の騎士団。皆が今ここで自分たちが為すべき事を想像する時に、ここに居ないDXの名を口にする。DXがいたらどうしただろう。その時自分は何をすべきなんだろう。DXの妹イオンを媒介にして皆の想像力が一つになった時、騎士団は組織として機能をはじめる。この時それぞれが、それぞれの役割として自らに課した行動が、そのままそれぞれの未来へと繋がっていく。この一人一人に人生があって、未来がある。インタビュー中にもあるように、彼らのうち誰を主人公にしても物語が紡げるだけのポテンシャルを持っている。その思いが込められているからこそ、彼らの行動に強い説得力が生まれる。この事件は、おがき先生が思い描く彼らの未来へと続く結節点、今まで積み上げてきたものの総決算になってるんですね。

大きな物語が失われた世界で

 現代は、大きな物語が失われた時代だと言われます。国や共同体といった絶対的な価値観が意味を失い、個人個人の関係性だけにしか意味を見いだせない時代。だけれども、そんな時代でも私たちは人と人の繋がり、そこにある友情や親愛の存在は、信じる事が出来る。そういった関係性が幾重にも織り重なって、網の目のように繋がっていった時、そこには厳然とした大きな歴史の流れが立ち上るんですね。そう。歴史とは人と人との関係性の連なり、その切なる想いの連鎖によって紡がれているんです。

 人の歴史というのは個人の営みの連鎖の結果としてある。今ここにいる自分はちっぽけで無力だけど、それでも何かを目指していく事には意味がある。そうゆうことが、ランドリオールや、風雲児たちを読むとよく分かってくる。

未確定な未来の物語

 ランドリオールの作劇は紛う事なき歴史物語のそれなんですね。だけれどもアトルニアという、架空の世界の架空の国の物語であり、その世界の歴史は、おがき先生の頭の中にしかない。救国の英雄の息子DX・ルッカフォート。おがき先生の頭の中には、DXがアトルニアという国を統べる姿が想像されているに違いない。だけれども、その思い描く理想の王の姿にDXが届くのかどうかは実は未だ未確定なんですよね。それはインタビューでも繰り返し述べられている。そう。実はこの物語の中で、主人公のDXだけが、透明な存在としてその未来が未確定のままこの場に置かれているんですね。

ゲーム的想像力

 ありうべき未来、言葉を選ばなければいわゆるトゥルーエンドと呼ばれるような目指すべきエンディング。それは頭の中に置きつつ、DXがそれにふさわしいキャラクターに育たなかった場合、別の未来の可能性もまた同時に用意してある。そのための、いわばワイルドカード的なキャラクターが、DXの妹イオンなんですね。イオンはDXと比してもストレートにヒロイックで、カリスマも血筋も申し分なく、王としての資質をすべて備えている。DXがイオンを超える王としての資質を得ることが出来なければ、トゥルーエンドの扉は開かれないんですね。

 この、エンディングを迎えるためにキャラクターを育てるという感覚はすごくゲーム的で、これはおがきちか先生の出自にも由来するとは思うのですが、同時にとても牽引力のある作劇方法なんですよね。主人公を成長させるために次々と試練を課していく。試練を乗り越えるために過去の経験を総動員して新たな資質を身につけていく。試練の解決のために伏線を貼るのではなく、与えられた課題を手持ちのカードをフル活用して乗り越えるんですね。だから後から読み返すとまるで計ったように伏線がピタリとはまり込んで見えるけど、それでいてご都合主義的には見えないんですよね。この作劇方法は実は先日紹介記事を書いたニコニコ動画上の物語「アイマスエスト」で用いられてるものと近しいんですね。

アイマスクエストをまだ知らない人のためにその魅力を全力で書き綴ってみた - 未来私考

 まさにゲーム世代の想像力と言うべきか、おそらくは自分の観測範囲が狭いだけで、同様の手法を用いた作品というのは他にもいろいろあるかもしれません。サンデー連載の「ハヤテのごとく」にも近いものを感じたりしてるのですが、まだちょっと見極め切れてなかったりもします*1

 未来が未確定でライバルが強力だからこそ、惜しげもなく要素をどんどん投入して力強い成長の息吹を感じることができる。そして主人公がどうあろうと歴史は不可逆なものとして、前へ前へと進んでいく。回りのキャラクターたちは一歩一歩大人へと近づいていく。重厚さと軽やかさ、大きな物語と関係性の物語、その両方が密に繋がりあって、極上のエンターテイメントに昇華している。そこに生きる人々の息遣いが確かに聞こえるからこそ海燕さんやペトロニウスさんの記事のように、現実と絡めて語ることも出来るし、あるいはキャラクターの関係性だけを取り出して楽しむことも出来る。良い物語というのは、様々な読み方を許容するんですね。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080825/p2
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081116/p1
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20081126/p2

 まだ途上。しかしもはや傑作と言い切ってよいでしょう。しかもまだ面白くなる。全ての物語愛好者にお勧めする一作。これは、読まない手はないですよ。

*1:ハヤテの場合は早々にパラメータがMAXになってしまって足踏みしているようにも見えたり