ずっと側にいるという事

 今日はコードギアス第1期9話「リフレイン」を再視聴したり。カレンと、その母の約束。母と一緒に安心して暮らせる世の中にしてみせるというカレンの望みは、そのままナナリーと一緒に安心して暮らせる世の中を願うルルーシュの望みとそのまま重なるんですよね。

 強い肉親の情の結びつきという関係は、コードギアス全編において頻出します。ルルーシュの母や妹への想い。カレンの兄や母への想い。シャーリーの父への想い。コーネリアのユフィへの想い。またCCとマオの関係も「母親で、恋人で、他人だった」とCC自らが評しています。8話においてルルーシュがコーネリアに対して「情のしっぽが邪魔をする」と内心したのは痛烈な皮肉、ルルーシュの抱える矛盾を体現しているテキストですね。

 生きている肉親とはずっと側にいたい。そして死んでしまった大切な人に対しては、その人が生きた意味を証明する事。それもまたコードギアスのキャラクターたちの行動原理です。19話「神の島」においてのカレンの台詞「お兄ちゃんの生きていた意味って何?」。これは父の生きていた意味、そしてユフィの生きていた意味を体現するために命を賭けるスザクの生き様にそのまま重なっています。

 カレンというキャラクターは、直情的でちょっと抜けていて、思った事を全部口にしまうような迂闊なところがあって。そうゆうキャラクターの役得というか作品に通底するテーマをなんの衒いもなく口に出来ちゃうんですよね。カレンの気付きや成長は、そのままスザクやルルーシュの気付きや成長に当てはまる事も多かったりします。何よりもカレンの成長物語としてみると、めちゃくちゃ熱い話だったりもするんですよねー。

 ところでこのエピソードはまた、黒の騎士団が日本人にとっての偶像となる回でもありますね。今週のR2第9話「朱禁城の花嫁」の反復のベースになるかも?などとも思っているんですが、さてどうでしょう。

追記

 こうゆう関係性の類似、構造の反復があると、ルルーシュやカレンやスザク以外の主要キャラクター、例えば皇帝も何らかの肉親の情を行動原理にしているんじゃないかという邪推もしていたり。これは、そうに違いないという話ではなくて、もしそうゆう話が出ても演出上不自然ではないなーくらいの話なのですが。構造の反復の効果については、またいずれ項を改めて書きたいと思っています。