アーキテクチャの生態系 情報環境の相互作用という視点
話題の本、濱野智史著「アーキテクチャの生態系」読了しました。大変に刺激的で、面白かったです。
副題として<<情報環境はいかに設計されてきたか>>とありますが、設計の技術論ではなく、インターネット上で誕生したサービスが、どのように成長し、またどのように他のサービスと相互作用を起こし―あたかも生態系を形成するように―共生と棲み分けをするに至ったかを、詳細に論じます。新しく生まれた情報環境が既存の環境とどう相互作用を起こして発展していったかが、主な内容ですね。
Googleとブログの共生関係
例えば2章で語られるGoogleとブログの関係。Googleがページランクの仕組みによって従来の検索サービスとは比較にならない検索精度を実現し、ウェブ上でのデフォルトサービスの地位を確立していったことはよく知られています。そのGoogleが支配的になったウェブ上で、ブログサービスというのが爆発的に流行したのは、ブログの仕組みが「Googleに検索されやすい」からであると論じます。ブログ黎明期、ブログと競合するような日記サービスというのはたくさんあった。その中でブログが生き残り、成長を続けたのはGoogleという環境の中でもっとも生存に適った仕組みを備えていたからこそだという話ですね。
これは、実感の伴った話としてよくわかります。私はこのブログを開設する以前から、LDさんとの共同運営サイト「漫研(http://www.websphinx.net/manken/index.html)」を10年来続けているのですが、そこで話していた言説がウェブ上に広がっていく力をまったく感じていなかったんですね。それが昨年知り合ったいずみのさん、ペトロニウスさんらに誘われてブログを立ち上げてみたところ、いかに今まで自分たちがウェブの海の中の絶海の孤島にいたかという事を思い知らされたんですね(笑)。おかげさまで漫研は、10年前のウェブの面影を未だに残すガラパゴスのようなサイトとして今も続いておりますが、アーキテクチャが違えば、同じウェブサイトというプラットフォームに乗っていてもまったく違う生態系を形成しうると言う事を身をもって体験しているんですね。
2ちゃんねるの生態系
本書では2ちゃんねるや、Mixiも、GoogleのいないあるいはGoogleから意図的に距離を置く事で独自の生態系を形成したウェブサービスであるとして、詳細に解説されています。特に2ちゃんねるの解説が非常に刺激的で。一般にウェブ上の掃きだめ、無法地帯のような扱いを受ける2ちゃんねるですが、スレッドの寿命の短さという設計上の特性に着目することで、それによって重要な情報をテンプレ化する文化が生まれ、結果として無意味な情報が淘汰され、玉石混淆の情報のなかから玉を取り出す仕組みが形成されているという分析をしています。これはとても説得力がある。2ちゃんねるが度重なるサーバートラブルに陥っても今なお継続しているのは、この新陳代謝の早さゆえという部分が確かにあるように思います。
アーキテクチャの内側の視点を持つと言うこと
人々の行動はアーキテクチャによって規定され、それぞれがその基盤環境の中で限定合理的に振る舞うことで結果として生態系を形成する…またそれらの生態系が別のアーキテクチャ上の生態系と相互作用する事で共進化していく。そう見立てる事でネット上で展開されるサービスの興亡史を進化史的にとらえる事ができるんですね。そして、その知見はインターネット上だけでなく、広く社会構造全体に適用できるのではないかという示唆をして、本書は締めくくられています。実際そのような可能性のひとつとして、7章のケータイ小説の分析によって、その記述がケータイというアーキテクチャによって規定されているという視点を導入しなければコンテンツを読み解く事ができない事を指摘しています。
この指摘は非常に重要です。ある事象について、例えそれが、客観的に見て合理性に欠くように見えたとしても、それはあくまでも自分が寄ってたつ基盤―アーキテクチャ―から見て合理性に欠くのであって、対象のアーキテクチャの内側の視点を導入すると、そのアーキテクチャ上の限定的な客観性においては合理的―限定合理的―に作用している可能性がある事、それを織り込んでいかないと、この複雑化した社会を読み解く事は決して出来ない。逆に言えば、社会を構築するアーキテクチャを読み取り、それぞれのアーキテクチャがどのように相互作用を起こしているかを分析する事で、この複雑な現代社会を記述することが可能なんですね。そして、そこに至ってようやく、新しいアーキテクチャが社会にどのような影響を与えていく事になるのかを論じる事が、可能になってくる。
アーキテクチャによる規範意識の形成
またもや自分自身の例に引きつけて語りますが、私は、2ちゃんねるやWinnyといった2000年代前半に日本を席巻したインフラストラクチャが、人々を攻撃的に、あるいは反社会的な心性に導く事に暗澹たる気持ちでいました。そういった中に登場したニコニコ動画、そして初音ミクという現象が、2ちゃんねる的な文脈の上にあるにも関わらず、それに関わっている人間の心性をそれとは全く別の方向に導いている事に、驚きと、感動と、未来への可能性を見いだしたんですね。
それはいったいなぜなのか。なぜ共通した文化を持つ2者がまったく違う心性に人を導くのか。漠然と考えていたその理由が、本書を読む事ですっきりと筋道を立てて理解する事が出来たんですね。アーキテクチャによる規範意識の形成。2ちゃんねるの管理人であり、ニコニコ動画のアドバイザーでもあるひろゆきは、恐らくこれを、言語化していないまでもある程度理解した上でニコニコ動画を設計したんじゃないかと思っています。これについては、またいずれ改めて語りたいですね。