ニコマスがまた一つ壁を越えた日

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 一篇の完成されたストーリー。それ以上の説明がいらないくらいの圧倒的な映像の説得力。強く感情を揺さぶる言葉。なによりも驚くべきは、この度を越えたクオリティの創作物が、特異な才能の手によるものではなく、ニコマスニコニコ動画上でのアイドルマスター二次創作―の作り手たちが営々と積み上げてきたものの必然として存在しているということだ。

ニコマスが積み上げて来たものの結実点

 この一篇の動画を見てまず最初に目を奪われるのは3DCGで描かれたキャラクターの繊細な演技だ。この3Dモデルの構築とモーション作成を行ったのはセバスチャンP。1年以上前からアイマスのキャラクターモデルの再現に取り組み、アイマス3Dモデルの第一人者の一人として高い評価を受けている人物。ローポリゴンで原作に忠実な印象を抱かせるモデリングに定評のある方ですね。過去の動画を遡っていけばその技術の成熟の過程がよくわかるのではないかと思います。

セバスチャンPとは (セバスチャンピーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 この3Dアニメーションを下地にエフェクトを担当したのが七夕P。アリモノの動画に動画編集ソフト等で切り貼りしたりエフェクトを当てて印象を変える技術はニコマス作品の根幹とも言えるもので、数多くのPV作品が作られているのは周知の通り。原作であるアイドルマスターの限られた素材をしゃぶり尽くすために製作者間で積極的な情報の共有と研鑽が重ねられ、七夕Pもまたそんな中で頭角を現してきた1人。

七夕Pとは (タナバタピーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 自作3Dモデルの実力者と、原作ゲーム動画の加工編集の腕を磨いてきた2人の力が結びついた結果出来たのが、3A07のハイクオリティな映像なんですね。特に表情の作り込み…3DCGのキャラクターがこれだけ表情で演技しているというものは商業制作の世界を通してみてもほとんど見当たらないでしょうね。限られた素材の中から一瞬を切り抜き、そこに意味を積み重ねていったニコマスだからこそ到達することが出来た高みに思います。

 そしてこの美麗な映像に1本の芯を通し、物語へと昇華させたのがRAP氏による脚本。RAP氏は「im@s雀姫伝」というアイマスを下敷きにした紙芝居形式の二次創作ストーリー動画の製作者で、今や数百本あるストーリー系の二次創作の中でもトップクラスの人気を誇っている人物の1人。この作品においてもその文才、構成の妙は如何なく発揮されていますね。

im@s雀姫伝とは (アイマスジャンキデンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 ニコマス界隈においては個々の得意分野においては突出したタレントというのはきら星の如く存在していて、彼らが力を結集したらもっと凄いものが出来上がるんじゃないかというのは以前から言われていて、それが数々の合作企画の原動力になっているわけですが、その中でも今回この作品を生み出したシネM@Dと呼ばれる企画はその意識が強いものだったんではないかと思います。

シネ☆MAD3rdとは (シネマッドサードとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 なにしろ企画のコンセプトが「完璧な合作」。デザイン、演出、シナリオの各担当者を募集しチームを組ませ、半年という長い製作期間を用意して1本の完結したストーリー作品を作る。ニコマス界隈という、製作者同士の交流が活発な世界だからこそ出来る企画でもあり、どこまでも進化を止めないニコマスPたちの求道的精神が生み出したひとつの結実点が、この3A07という動画なんだと言うことができるのではないでしょうか。

 個々の才能を突き詰めるだけでなく、その才能を掛け合わせることによって更なる高みへと登ることができる。そのことを3A07が見事に証明して見せた。この動画を金字塔としてニコマスは更に進化していくのでしょう。

個人的感想

 作品の内容についても少し。タイトルの3A07というのは、この作品のヒロイン三浦あずさ名義でリリースされたボーカルアルバム「アイドルマスター MA07」に引っかけたものでしょうね。もうひとつの、本当の意味は作中で語られる通り。使用されている楽曲はMA07に収録されている「隣に…」、同 MA08に収録されている「フタリの記憶」。それぞれ別離と旅立ちをテーマにしたこの曲は対になっているとも解釈されていますね。
 もう一本の挿入歌である「Memories are here」はゲーム「カタハネ」のエンディングテーマとのこと。“ 一つの物語は終わりを告げ、過去から未来へ ― 物語は“ココ”から始まる”というキャッチコピーは3A07のテーマとも重なりますね。

カタハネとは (カタハネとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 作中に何度も引用される中原中也の詩もまた印象的ですね。ひとつのテキストを共有することで、凝縮された想いが伝わる、ただのその文面以上の言葉が伝わる、そんなメッセージと受け取りました。「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」という有名な、ブランコが揺れる様子を表す擬態語、これを言葉にする律子の心情というものに思いを馳せるとまた一層あの場面が感慨深いものになりますね。これは穿ちすぎでしょうが、アイドルマスターというテキストを共有することでより深いコミュニケーションを実現しているニコマス界隈へのリスペクトと言った側面もあるのかも、なんて考えたりもしたり。

 もう一つ印象的なのは、作中のプロデューサーの顔が、はっきりとイケメン(笑)に描写されてることですね。通常、アイマスにおいてはプロデューサーはプレイヤーの分身として扱われ、視聴者もしくは動画製作者自身がPであるという立場を取るためプロデューサーの顔ははっきりと描写されないのが通例になっています。それをあえて顔かたちのはっきりとしたキャラクターとして描写しているのは、このPがわたし(作り手)でもあなた(視聴者)でもない、この世界のどこかにあったかもしれない一つの可能性、1人のプロデューサーの物語として描かれているんでしょうね。ゲームの世界では、アイドルとプロデューサーは幸せな結末を迎えることが約束されている。だけれどももし仮にそうでなかったとしても、あずさは幸せであったし、Pも幸せだったんだ。そんな印象を受けました。

 その物語としての独立性が結果としてより広い層に伝わる物語の強度を高める結果となっているようにも思うし、また公式には出来ない、ニコマスの成果物であることの意味でもあるようにも思いますね。