言葉の対象をずらす

 最近すっかりただの感想ブログと化しています(笑)。久しぶりに情報圧縮論の話。R2第21話の脚本で面白かったのは、言葉の対象をずらすという技法が効果的に使われていたんですね。ちょっとその解説を。

 “ピーピングされるのが趣味か?”
 スザクが見た幻影について、その内容に関知していないことを無責任ではないかと言われたC.C.が、スザクに言った言葉。これはスザクとの会話の返答でもあるんですが、同時にCの世界…ラグナレクの接続というものの本質を一発で説明しているんですね。他人の心を覗き見したいという下衆な願望。それが覗き見される側の立場をまったく省みていないものであることを、間接的に表現しているんですね。

 “たとえ愚かだと言われても、立ち止まることは出来ない”
 Cの世界に連れて行ってくれとC.C.に頼むスザクの言葉。これも主語が省かれて、スザクが今出来ることをするという決意という体裁をとりながら、同時にルルーシュが取るべき道についての言及にもなっているんですね。

 “ありのままでいい世界とは、変化がない、生きるとは言わない、思い出の世界に等しい、完結した閉じた世界。俺は嫌だな”
 皇帝の計画を否定するルルーシュの言葉。この時傍らで悲しい表情をするC.C.がとても印象的なのですが、この台詞で語られた世界は、まさにC.C.が生きてきた世界そのものなんですね。この言葉を聞きながら、C.C.は己が逃げ出すためにその世界を人に押し付けようとしていることをまざまざと思い起こさせられているんです。もしこの世界が肯定されるのであれば、そもそもC.C.が死を望む理由もない。その欺瞞に、C.C.は気づいてしまったんですね。