物語は排他的選択と共にある

何かを選ぶということは、常に何かを諦めるということと表裏一体だ。すべてをほしいままにしているつもりでも、人間の肉体と想像力が有限である以上、そこには常に切り捨てられた「何か」がある。

何かを得るために諦めざるをえなかったもの、それに想いをはせる時、そこに物語が立ち上る。そんなことを考えたりする。

それは、有り得たかもしれないもうひとつの可能性に対する未練、なのかもしれない。だけれども、このあまりにも広大な世界で自らの小ささを受け入れて生きていく、身を引き裂かれるような思いで何かを諦めて生きていくことが出来るのは、物語があるおかげなんだろうと、しみじみと思う。

だから、この世界で人が物語と共に有ることを祝ぎたい。そして自らのちっぽけな生を堂々と生きて行きたい。

 2008年の終わりに添えて。