「ゲーセン少女」が人を激昂させる理由

 もうかないり下火になってきましたが「ゲーセンであった不思議な子の話」という2ちゃんねる発の小咄を巡って、はてな界隈で賛否両論の論説が繰り広げられています。私自身はこの小咄については可もなく不可もなくという印象なのですが、最近とかく問題になっている「2ちゃんねるまとめサイト」について考える上でも興味深い題材に思えたので少し考えをまとめてみます。

ゲーセンで出会った不思議な子の話:哲学ニュースnwk

2ちゃんねるに「真実」はない

 まず大前提なんですが、この小咄は2ちゃんねるニュー速VIP板の派生であるニュー速VIP+で書かれたものである、ということ。そしてこれもまた大前提なのですが、そもそもニュー速VIP系という場所は「本当の事を書く場所ではない」ということです。これはすべてが創作であると言っているのではありません。ニュー速VIPで書かれる小咄のおおよそほとんどが、嘘と本当の事がない混ぜになった、虚々実々の物語である、ということです。それは実話であると明記してあろうがなかろうが同様で、仮に語り手が「これは実話だよ」と言っていたとしても、例えば身元バレを防ぐためにディテールを誤魔化したり、また話の展開を盛り上げるために演出を盛ったりということは当然普通に行われていると思って読んだほうがいい。

 こういった小咄を日本では古来より「法螺話」と呼んできました。つまり2ちゃんねるで綴られているこの手の自分語りというのは、真実でも創作でもなく、その中間にある「法螺話」なんです。まず、それは前提として理解する必要がある。

 ましてや今回の話は語り手である「1」はこの話が実話であるという宣言を実は一度もしていない。この時点でこの話は、おおよその筋が創作で細部に1の体験を盛り込んだ形の法螺話なんだな、というのは簡単に見て取れる。実際、このスレをリアルタイムで読んで合いの手を入れていた聞き手も、これをまとめたまとめサイトも、これが実話だなんてことはまったく考えてもいなかったでしょう。にも関わらず、これをまとめサイトで読んだ一定の割合の人々が、この話を真実として受け取った。ここにこの小咄をめぐる対立の根幹があります。

「死にオチ」は本題ではない

 もうひとつ重要な点は、この小咄がいわゆる死にオチで終わるのはけして本題ではない、ということです。語り手である1がこの話を通じて書きたかったのは結論部分ではなく、幕引きがこう言った落とし所になったのは、単に1の創作の引き出しに他に妙手がなかっただけの、言ってしまえば力量不足の結果でしかありません。

 これを前提にして読むと、1と聞き手のスレ住民とのやり取りが、手なりで死にオチへと向かっている話の筋を、なんとか方向転換させようとスレ住民たちが合いの手で誘導しようとしている様子が見て取れて面白かったりもするのですが、この話が評価されたのはテンプレの涙話だったからではなく、序盤〜中盤にかけての1の軽妙な語り口、また、歌詞を引用することで情景描写を引き出すという手法、また、やり取りを通じてひょっとしたらハッピーエンドに持ち込んでくれるんじゃないかといった期待ゆえなんじゃないかなと。では1が一番書きたかったところはどこか、と言えばおそらくここでしょうね。

彼女は夢を語りだした。
彼女「ゲーセン減らないでほしい。どんどん減ってる。
わたし、いろんな人が楽しめるアーケードゲームを作るのが夢だった。」

それを語る彼女は、いつにも増して真剣そのものだった。
凛とした視線で、かっこいいとさえ思った。

彼女「ゲーセンでしか味わえないドキドキがあるんだよ。
富澤はどんな時にそう思う?」「わたしはね」

 それまで積み上げてきたディテールは全てはこの場面を描くためであって、実際、それ以降の死に至るまでの過程は驚くほど淡白にしか描写されていません。この話に感動した、という人はおそらくここが一番のピークで、その後の描写についてはおよそ余韻で読み切ってしまったというのが正直なところなんじゃないんでしょうか。

 ただ、このテーマに対して死にオチというのはやはりどうにも座りが悪く、その気持ちを収めるために「事実なんだから納得がいかなくても仕方がない」という思い込みが起こったのではないかな、と考えます。こう書くと「本当に本当かもしれないのに不謹慎じゃないか」みたいに思われるかもしれませんが、仮にこれがハッピーエンドで落ち着いていたらこれを実話だと思う人はどれくらいいるのかと思うんですよね。そして仮に実話だったとした場合、こんな語り口で自分の彼女の死に様を書くなんてちょっとありえないというツッコミはid:Lobotomyさんが辛辣な言葉でなさってますね。

ゲーセンとかけそばと泣ける話とゲラゲラ笑う人達 - 脳髄にアイスピック

 もうひとつついでに言うと、多数ツッコミを受けている、トルコキキョウの花言葉が間違っている件ですが、花言葉の真贋なんてのはちょっと検索すればすぐ分かるわけで、にも関わらずわざわざ取ってつけたようにそれを書いているのは「これは創作話ですよ」という符丁なんじゃないかな、と。感動してグッと来ているところに「というお話だったのさ」とわざわざ書き込むのも野暮で、かと言ってまったく作り話なのか実際の出来事なのかを明かさないのも不誠実かなというバランス感覚のなかでこういった手法が用いられているんじゃないかと考えます。

人は信じたいことを信じる

 野暮を承知でハッキリと言ってしまいますが、この小咄は間違いなく創作です。ディテールの部分、例えば「おばあちゃんが卵巣がんで亡くなったとか、COACHが好きな彼女がいたとか、妹が服飾の専門学校に通っているとか、そういった細部は1の実体験である可能性はあるけれども、大筋としては作り話と断じてしまって構わない。構わないし、その上でこの話を読んで感動する人がいるのもまたごく自然な事なんです。クライマックスに至るまでの盛り上げ方は、それに見合うだけのものが十分あるお話なんですから。

 その上で、やはりこの話が死にオチで終わるのは安易で、不出来であると言っていい。その不出来さを納得するために、明らかに創作されたお話を「事実」として受け止めて処理するのはそれは駄目だろうというのが、今回この話の盛り上がりに対して批判されている人たちの気持ちなんじゃないんでしょうか。

 実際のところ、これはあくまで楽しみのための物語であって、嘘であろうと真実であろうと誰が困るわけでもないのも事実です。世の中にはもっと質の悪い「嘘か真かわからない話」というのはたくさん飛び交っている。今回、この話を褒める向きに対して烈火のごとく怒りの声を上げる人達が多数現れたのは、この話を「どっちでもいいじゃん」としてしまうことに「真偽を合理的に判断せずに信じたいことを信じる」という性向を垣間見たからに他なりません。

 一方で、例えば島国大和さんが言うように、この話がだれかを騙すために周到に計算されて書かれたとするのもまた穿ちすぎであるとも思います。

実話として流通する嘘に大喜びする愚民 島国大和のド畜生

2ちゃんねるで書き綴られる小咄というのは基本的にその場のノリと勢いで書ききってしまうもので、席を外したり日を改めたりするのはそれこそ本当に単に用事があったか、あるいは展開に煮詰まって考える時間が欲しいか、といったところでしょう。合いの手が、ちょっと盛り過ぎだろうというくらいに盛り上げるのも席を外した1が戻って来やすいように場を暖める意味合いが強くて、自作自演で盛り上がっているように見せているというのはちょっと考えられないですね。この手の小咄は一旦間が空いてしまうと書き手が戻ってこないことも多く、面白いと思ったらとにかく盛り上げるというのが一種の流儀なんですよね。書き終わった後の「感動した」といった類のコメントも、「またなんか面白い話書いてよ」くらいの意味に受け取っておくのが妥当なところでしょう。

まとめサイトの責任は問われるべきか

 そもそもこの小咄をめぐる議論というのはまとめサイトに取り上げられたがゆえ、というところがあります。少なくともこの話に関しては、ちゃんと創作であることが汲み取れる形で発言を拾ってあり、かなり誠実なまとめがされているパターンであるとは思います。古くからある創作系のまとめサイトは、最近問題になっている速報系のまとめサイトに比べれば十分なバランス感覚を持ったものが多い、というのが個人的な印象ですし、まとめ人自体が好きでそれをやっているのが見て取れるのであまり強く批判しようとは思いません。

 しかし最近問題になっている速報系のまとめサイトは虚々実々の報道を面白おかしくより一層の誤解を生むように切り取るものも多く、そういったまとめサイトに対してフラストレーションが溜まっていたところに「明らかな創作を実話として持ち上げる」という燃料が投下された結果が今回の論争の火種だったんじゃないかなと。

 とはいえやはりそれはそれ、これはこれという分別はやはり必要かとは思いますし、この小咄を面白く読むことが出来た人も、2ちゃんねるでの創作のあり方を承知した上で、「それでもやっぱり面白かったよ」と言っていただければ余計な対立を避けることが出来るんじゃないかななどと愚考する次第です。

ソーシャルゲームと従来型ゲームは何が違うのか

 このところ、ソーシャルゲームとはなんなのか、ソーシャルゲームはこれからどうなっていくのかといった記事が相次いで話題になっています。どれもなかなか興味深くはあるのですが、一読して「あれ?これって別にソーシャルゲームに限らないんじゃ?」という感想を抱いた人も多いんじゃないかと思います。「射幸心」「承認欲求「自己達成感」…言われてみればどれもなんとなく納得してしまいそうですが、だからといって「それ」がヒットしている最大の要因だと言われると首を捻ってしまいますよね。実際、これらはゲームそのものがもともと持っている面白さの一要素であって、ソーシャルゲームが特別何か新しいアプローチをしているわけでもないんです。

ソーシャルゲームとキャバクラの違い - よそ行きの妄想
ソーシャルゲームはそのうち飽きられバブル崩壊するのか? - teruyastarはかく語りき
任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(上)関係者が見据える「バブル市場」の不確定要因と未来図|コンテンツ業界キャッチアップ|ダイヤモンド・オンライン

 では一体今ソーシャルゲームと呼ばれているものは従来イメージされてきたゲームと何か決定的な違いがあるのでしょうか?ここであえて断言してしまいますが、「ゲーム」という切り口で見る限り、ソーシャルゲームと従来型ゲームに本質的な違いは何もありません。従来型のゲームで培われたセオリーはソーシャルゲームでも通用するし、今稼動しているサービスの多くは、ゲームの歴史をなぞるように次々と新しい仕掛けを用意してユーザーを楽しませています。

 その一方で、今ソーシャルゲームと呼ばれているゲームの一群は、やはり従来イメージされてきたゲームと一線を画す部分もあります。それは「時間」の扱い。ブームの源流となった海外製の3タイトル「Travian」「MafiaWars」「FarmVille」から脈々と受け継がれ、今なお変わることのない唯一にして最大の特徴。それは「プレイヤーのプレイ時間に制限をかける」というルールを導入していることなんです。

 少しでも遊んだことのある人なら誰でも知っているかとは思うのですが、ソーシャルゲームと呼ばれるタイトルのほとんどは、ほんの数分プレイしただけで「待ち時間」が発生します。行動力の回復時間、作物の育つ時間、建築物の建造時間、あるいは必要なゲーム内資源が貯まる時間。ちょっとプレイするとすぐ「待て」がかかる。これが従来型のゲームに慣れた人からするとストレス要因に感じてしまう。それをマネタイズの側面から見ると、まるでプレイヤーにストレスを与えてそれを換金しているかのような印象を持ってしまう。実はここに大きな誤解がある。「待ち時間の解消」によるマネタイズはあくまで結果から生じた副産物であって、「待ち時間」を作ることこそがソーシャルゲームの最大の発明であり、本質的な魅力なんです。

ソーシャルゲームの「待ち時間」

 「待ち時間を作る」というのはどういうことなのか。それはゲームをしていない間もゲーム内の時間が流れているということ。ゲーム画面とにらめっこしていない間にも作物が実り、行動力が回復し、資源が貯まってまっていく。従来型ゲームというのは基本的にプレイヤーがモニターの前でコントローラーを握っている間だけがゲームで、コントローラーから手を離せば時間は止まるし、ゲーム内のリソースもゲーム内でのプレイからでしか手に入らない。ゲームをしている時間とゲームをしていない時間の線引きが明確にある。それはオンラインゲームでも同じで、プレイしていない間他のプレイヤーの時間は進んでも、プレイしていない自分の時間は基本的に進まない。

 一方ソーシャルゲームは「ゲームをプレイしている時間」と「プレイしていない時間」の線引きが明確ではない。30分たったらあれをやって、3時間たったらこれが出来る。もう何日かして資源が溜まったらあれをしよう。そんなふうにゲームをしていない時間も平行してゲームが進行していって、日常生活の中にゲームが溶けこんでいく。これがソーシャルゲームが「ソーシャル」と呼ばれるそもそもの所以なんです。ソーシャルゲームが携帯電話を中心に拡がっていったのも、それが多くの人が24時間肌身離さずに持ち歩いているデバイスゆえ、なんですね。

 ここまで読んできて「ちょっと待て、従来型ゲームにだって時間進行するものはあるじゃないか?」と思った人は鋭いです。コンシュマーゲームで言えば「シーマン」「ラブプラス」「どうぶつの森」あたりが代表的ですね。前世紀に一世を風靡した「たまごっち」なんてのもあります。そこまで本格的でなくても、たとえばポケモンたまご育て屋さん木の実のように、時間経過で結果の出る要素というのは昨今珍しくはありません。私はこれらのタイトル群も「ソーシャルゲーム」のくくりに入れてしまって良いと考えています。というよりも、今のソーシャルゲームブームそのものが、この10数年野心的なタイトルが挑戦してきた、生活空間にゲームを紛れ込ませるという挑戦の上に成り立っているとすら考えています。

「やらなくてもいいゲームはないか」

 今を遡ること10数年前、ファミ通に掲載された吉田戦車の4コマ漫画のこんなセリフが話題になったことがありました。当時はまだプレイステーションすら発売されていない時代。その頃からすでに重厚長大化するゲームに「飽き」を感じる人が出て来はじめていたんですね。そのセリフがずっと耳から離れず、20世紀も終わる頃になって、これからゲームが進むべき方向は、まさにその地点なのではないかという思いを強くしていました。実際に先に上げた「シーマン」や「どこでもいっしょ」といった、「やらなくてもいい」を目指したタイトル群がその当時から目立つようになったようにも思います。任天堂DSやWiiも、まさにその方向に向いて新しいファン層を獲得して行っているなあと思ったり。そして一昨年に初めてソーシャルゲームと呼ばれるタイトル群に触れ、まさにこれだ!これこそがずっと追い求めていた「やらなくてもいいゲーム」そのものだ!と強く感銘を受けそれ以来ずっと飽くことなくソーシャルゲームをプレイし続けています。

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 ソーシャルゲームに対して「時間をお金で買うこと」に対する強い反感、というものが根強くあります。努力をないがしろにされることに対する言い知れない不快感と言ったものでしょうか。しかし例えば長大なRPGをプレイしていて「あーお金払ってでもいいから誰かこのレベル上げ代わりにやってくれないかなー」などと思ったことのある人は少なくないでしょう。これはまさに吉田戦車の4コマで描かれていたシチュエーションなのですが、ソーシャルゲームのマネタイズはこれを実際に形にしたものなんですね。

 これもまた根強い誤解のひとつなのですが、ソーシャルゲームのヘビープレイヤーは何も騙されて、あるいはサンクコスト効果で後に引けなくなって大金をつぎ込んでいるわけではありません。私自身それなりに実際にお金も使いましたが、お金を注ぎ込んだゲームであっても既に飽きてしまって今は触れていないタイトルも少なくありません。その中にはサービスを既に終えているものもあります。だからと言って後悔とか喪失感とかがあるかといえば、そんなわけはないわけで。もっと言ってしまえば、例えば全盛期に数十万円という単位で注ぎ込んだ格ゲーや、あるいはマジックザギャザリングのようなカードゲーム、更に遡って子供の頃に夢中になったファミコンタイトルたち…これらは今も遊べるかといえばほとんど遊ぶ可能性はないですし、実際手元には何も残っていない。だからと言って後悔なんて微塵も無いですよね。ただ、あの頃は楽しんだなあというほんわかとした思い出だけが残っている。

 ソーシャルゲームのプレイヤーも基本的には何も変わりません。ただ、今この瞬間を楽しむためにお金を投資している。それでその瞬間楽しめればそれが勝利だし、楽しめなかったら、あくまでその時に選択を失敗したというだけで、それが本質的に楽しいものであるという事実は揺らがないんです。

ソーシャルゲームの「中」で何が起こっているのか

 もう少し具体的な話もしましょう。ソーシャルゲームの「中」で、一体誰がお金を支払っているのか、という事です。先程も言ったとおり、ソーシャルゲームにお金を注ぎ込んでいる人の殆どは、それを納得した上でお金を使っています。ではその納得はどこから生まれるのか。これを言うと意外に思われるかもしれません。しかしヘビープレイヤーのほとんどは「ゲームに習熟すること」によってお金を払う事への納得を得ているんですね。

 これを理解するには歴史を紐解く必要があります。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのモバゲーとGREEですが、ほんの3年前までは、この2つをゲームサービスだと思う人は誰もいなかった事を思い出してください。この当時、携帯向けのソーシャルゲームが収益の柱になっていくと考える人は誰もいなかったでしょう。実際の所、最初期のモバゲー、GREEのゲームというのはあくまでコミュニケーションの肴程度の扱いで、2社の売上の中心はマイページに掲示するアバターを着飾るアイテムだったんですね。
 その状況を一変させたお化けタイトルが「怪盗ロワイヤル」なのですが、この怪盗ロワイヤルにしても、何も当初から売上を期待され、注目されていたわけではなく、気がついたら莫大な利益を上げていて、突然降って湧いた金の鉱脈にドッと人が押し寄せて後付で色々な理由が付けられ、また同時にこれが「原理的にすごく儲かる仕組み」であることに改めて気付いたからこそ、強気のCM攻勢と事業拡大を図って今に至っている、と私は理解しています。

 ここで重要なのは「気がついたらいつの間にか莫大な利益を上げていた」という点です。何も最初から狙ってヒットさせたわけでもない。開発費も決して高いわけでもなく、あくまで大半が無料プレイヤーであることが前提であったのに、気がつけばゲームに習熟した一部のユーザーが猛烈な勢いでお金を注ぎ込んでいたんです。これはゲーム史の黎明期インベーダーブームの時にも起こったことだし、あるいはストリートファイターIIに端を発する格ゲーブームで起こったことでもある。とにかく、なんだかよく分からないけれども猛烈な勢いでハマっている人たちがいる。この人達は誰かに教えられたわけでもなく、巧妙に仕掛けられた罠にはまったわけでもなく、ただゲームを面白がって、その上でお金を注ぎ込めばゲームが更に面白くなることを理解して、そこにお金を注ぎ込んでるんです。

 ソーシャルゲームに懐疑的な人の中には「知りもしないで批判するわけにもいかないので一応自分でも遊んで見てお金も使ったけどやっぱり面白くなかったよ」と言う人も少なくないのではないかと思います。しかし例えばゲームセンターに行って、ゲームのルールをろくに理解しないまま、ただ漫然と100円なり1000円なりを投入しても、それで何かを得られるほどゲームというのは簡単ではありません。それは、ソーシャルゲームと言えどもまったく違いはない。あくまでゲームを理解してやるぞという姿勢を持って、その上で創意工夫し自分なりの解法を見出してこそ、ゲームというのは輝くんです。

 「基本無料」のソーシャルゲームというのは、その試行錯誤の過程をタダで試させてくれるゲームなんだと考えないといけない。そうやって試行錯誤した上で納得してコスト…それはお金であったり時間であったり人脈であったりするわけですが…を支払う。ソーシャルゲーム重課金プレイヤーというのはそうやって成り立っているんです。

ドラコレの「今」から見えるもの

 最後に「ドラゴンコレクション」というタイトルの今について話しておきましょう。1年以上に渡りGREEのランキングトップに君臨し数々の傍流を生み出し、誰しも名前は聞いたことはあるし、実際にやってみたという人も多いとは思いますが、もし休眠状態のキャラがいたら是非一度ログインしてみてください。呆れ返るほどの大量の…その中には強力なレアカードを引けるレアガチャカードも多数含む…大量のアイテムがプレゼントで送られてビックリするんじゃないかと思います。去年の秋口に話題になった記事でもドラゴンコレクションがあまり強力にアイテム販売を押し出してないという話がありましたが、もはやその時の比ではないくらいの大盤振る舞いぶりです。そして、これが売上が落ちてきて、少しでも客足をつなぎ止めるための撤退戦であるなら話は簡単なのですが、現実には未だにドラゴンコレクションはずっとランキング1位をキープして莫大な利益を上げている。

コナミが古い常識を破壊しちゃったおかげでどれだけマネタイズを隠すか、というのがトレンドになりつつある

 これが何を意味しているかというと、ドラゴンコレクションの売上の中心となっているユーザー層は、既に強力なカードを集めるという段階は終えていて、その先のリソース管理やライバルとの駆け引きにこそコストを投入しているんです。レアカードやゲーム内資金の大盤振る舞いは、ユーザーが「そこ」へ辿り着くまでの道を整備してショートカット出来るようにしていると言ってもいい。具体的にはこれらのユーザーは逐次開催されているイベントでの入賞というのを目標にしているんです。特にドラゴンコレクションの場合は仮にイベント上位入賞しても実はそれほど特別なアイテムが手に入るわけではなかったりします。手に入るのはあくまでゲーム内コミュニティでの名誉くらいと言っていい。ほとんど自己満足の世界ですが、ゲームというのは元々そういうものです。その上で、この順位帯ならだいたい1イベントで3000円、より上位を目指すなら5000円、1万円みたいな感じでおおよその相場観というのが形成されている。その順位にいる人はだいたいそれくらい注ぎ込んでるんだな、というのが目に見えてわかるので、馬鹿みたいに一人だけ突出してアイテムを大量消費したりはしない。自分の懐具合と相談しながら、もうちょっと上を目指してみるかな?とか今回はちょっと諦めるかな?、とか考えながら、上手く行ったり行かなかったりという浮き沈みそのものを楽しんでるんですね。
 ここまで来ると、はっきり言って理路としては従来型のゲームとなんら変わることがない。そこに「お金」というファクターが自然に組み込まれていることに違和感を覚える人もやはりいるとは思いますが、これは、実際のプレイ感覚で言えば「参加料」なんです。ある順位帯にエントリーするにはだいたいこれくらいの金額が必要。その上で、上手く立ち回れば想定の順位より上にもいけるし、下手を打てば下回ってしまう。それを読んだ上でBETする、というのがイメージとしては近い。それはモバゲーやGREEが基本的に、まずは仮想通貨を前払いで買ってから、その後にゲーム内アイテムを買うという手順を踏むことからも自然と身につく感覚でもあります。コインを3000円買ったら3000円分使う、5000円買ったら5000円使う。そういうスタイルの人がほとんどで必要に応じて逐次買うという人は少ないんじゃないかというのが個人的な印象です。

 以上、長々と語ってしまいました。今まではどうしても既存のゲーマーと接点が薄いためこういった話をしても納得は得られないかな、と思っていたのですが、昨年末から今年にかけてアイドルマスターファイナルファンタジーといった既存のゲーマーとの接点の高いタイトルが投入されたこともあり、書くなら今かな?とつらつらと書いて見ました。異論や反論、それでも納得のいかない事もあるかとは思いますが、20数年来ゲーマーをやってきて、ここ数年ソーシャルゲームにドップリとハマった人間のひとつのものの見方として受け止めていただければ幸いです。

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コアゲーマーにも知ってほしい2011年注目ソーシャルゲーム9選

 先日記事に取り上げた「アイドルマスターシンデレラガールズ」を始め、コアゲーマーの間でも少しずつソーシャルゲームが注目されつつあります。しかし話題になるのは「ドラゴンコレクション」や「探検ドリランド」等メガヒットとなったタイトルくらいで、そのリリース数に比して名前があがるものはごくわずかです。そこで2011年に私自身が体験した中から特に注目したタイトルについて紹介してみたいと思います。

ビックリマンGREE)(フィーチャーフォン

 一時代を築いた超有名コレクションシールのGREE版。基本ルールはほぼドラゴンコレクションを踏襲しており独自性は低いのですが、特定キャラに特定アイテムを使用すると上位のシール(ヤマト王子→ヤマト神帝、始祖ジュラ→ブラックゼウスetc)へと進化(神化)するというのがコレクション性と短期的なモチベーションを高めています。特筆すべきは期間限定イベントの頻度の高さで、イベントの前後に差し挟まれるFLASHアニメーションによる小芝居が上手く原作を消化しており、目を楽しませてくれます。

スラムダンク forモバゲー(モバゲー)(フィーチャーフォンスマートフォン

 こちらもベースはドラゴンコレクションを元にしたカードコレクションゲームなのですが、特に演出面において細かな工夫が施されており、版権ものタイトルのひとつの理想形となっています。特徴的なのは、コレクションカードが湘北、陵南、海南大付属、翔陽の4校に分かれており、ひとつのデッキには同じ高校のカードしか入れられないこと、カードにキャラクターカードの他にドリブルシュートやリバウンドといったアクションカードが用意されており、キャラクターとの組み合わせを考えたデッキ編成を要求されること。試合は最大10枚のデッキから5枚が選ばれその組み合わせで展開が表現されなかなか秀逸な演出になっています。またゲームのナビゲーションを井上雄彦の分身キャラであるDr.Tが担当していたり、ガチャという言葉を特訓と言い換えたりと全体の雰囲気作りも丁寧に行われているのが特徴ですね。

海賊道(GREE)(フィーチャーフォンスマートフォン

 任侠道に続くgumiの17禁ソーシャルゲーム第2弾。これも基本ルールはドラゴンコレクション準拠ですが、ドラコレの秘宝に当たる奪い合うお宝が「女の子」になっており、奪う(出会う)ことでちょっとしたFLASHアニメーションの小芝居がご褒美となっています。この小芝居が上手く女の子の特徴を引き出しており、海賊団同士のランキングバトル等も含めて、「アイドルマスターシンデレラガールズ」の直接的なルーツのひとつと言えるかもしれません。

ドラゴンリーグGREE)(フィーチャーフォン

 ここからは非ドラコレ系のタイトルです。ドラコレ系がカードコレクションとそれによるデッキの強化を主眼にしているのに対して、このドラゴンリーグは明確に「チーム力の強化」を主眼にすえたよりソーシャル性の高いゲームデザインになっています。その最大の特徴は、月に1回、2週間にわたって開催される「ドラゴンリーグ」。前節の成績にしたがって組み分けされたチーム同士が1日4回決められた時間に集まって力比べをするというもの。仲間と示し合わせて攻撃のタイミングを合わせると強力なコンボを決められたり、1日4戦に有限のリソースをどう配分するか等、やりこもうと思えばかなり戦略的な立ち回りが可能で、その一方でチームの移籍はかなり気軽に行えるようになっており、チームプレイが苦手でマイペースにキャラ育成したい人はそれなりに楽しめる作りにもなっています。モバゲーの「大連携!オーディンバトル」等フォロワーも生まれつつあり、また1月からはスマートフォンにも対応ということで今一番注目しているタイトルのひとつです。

狩りとも(モバゲー)(フィーチャーフォンスマートフォン

 探索で発見したモンスターにプレイヤーが相乗りで制限時間付きレイド戦を仕掛ける、ドリランド系タイトルといえるのですが、各プレイヤーがそれぞれ最大10体のNPCのユニットを組むことが出来、またそのひとりひとりについて細かく育成出来るのが特徴で、その要素の多彩さはコンシュマーのダンジョン探索系RPGと遜色のないレベル。またモンスターとの戦闘によってかなり頻繁にキャラクターが倒され(だからこそ多人数のユニットを組む)ソーシャルゲームとしてはかなり高い攻略性と世界観の演出に成功しています。回復や育成に数円〜数十円という単位の小額のリアルマネーでアシスト出来るようになっているのもマネタイズの方向としてなかなか興味深いタイトルです。

A.V.A 大激闘!戦場バトル(モバゲー)(フィーチャーフォン

 架空の欧州戦線を舞台にした同名PC用FPSのモバゲー版、という位置付けのタイトル。これもまた制限時間内に集団で目標を撃破する、ドリランド系レイドバトルの亜種と言えますが、特徴的なのはバトルの処理をFLASHによるミニゲームで処理していること。残弾に注意しつつ現れる敵兵にカーソルを合せて撃ち倒す簡素なガンシューティングなのですが、各ステージごとに個人/チーム/全体のスコアアタックになっており、ステージ攻略だけでなくハイスコア更新がゲームのモチベーションになっているのが面白いですね。幕間の小芝居もB級で妙な味わいがありなかなか楽しいものになっています。

100万人のWinningPost(GREE)(フィーチャーフォンスマートフォン

 同名コンシュマーゲームのGREE版。競馬ゲームはソーシャルゲームの中でも一大ジャンルなのですが、多くのタイトルがプレイヤー同士の対戦に主眼を置いているのに対して、このWinningPostは馬の育成は実在馬との対戦が中心になっており、ソーシャル要素は主に配合に置いているのが最大の特徴。原作同様に自家製種牡馬を繋留することが出来、それを他のプレイヤーが利用することでヘビープレイヤーはリーディングサイヤーを目指し、そうでないプレイヤーも他のプレイヤーの作った良血馬を種付けすることでより強い馬を生産するチャンスが得られるというソーシャルならではの仕組みを上手く利用しています。アイテムによる補正が強すぎる等、バランス面で課題はありますが、レースシーンの演出も丁寧で、来年リリースされるライバル「ダービースタリオン」との対比が楽しみでもあります。

レイトン教授ロワイヤル(モバゲー)(フィーチャーフォンスマートフォン

 対人ロールプレイゲーム「人狼」をモチーフにしたとも言われる同タイトルですが、実装されたのは時間内にマップ上の移動を繰り返し、敵対勢力の捕捉/回避を行う鬼ごっこゲームといった趣です。当初はゲーム展開にメリハリがなかったものの、何度かのマイナーチェンジでかなり遊びやすくなっており、特に操作感の悪いガラケーではなく、スマホテザリングで遊ぶとプレイ感覚がまったく違って来るあたり、今後のスマホ対応タイトルの動向を占う上でも注目の一本と言えそうです。

アイドルマスターシンデレラガールズ(モバゲー)(フィーチャーフォンスマートフォン

 やはりこのタイトルも挙げねばならないでしょう。すでに完成されたドラコレタイプをベースに、暴力的なほどに高品質なキャラクターを大量投入するという力業で今までソーシャルゲームを敬遠していた層まで巻き込んだ盛り上がりを見せています。特にキャラクターひとりひとりへのスポットの当たり方が従来のソーシャルゲームでは見られなかった展開で、今後リリースされるタイトルにも大きな影響を与えることは間違いないでしょう。

 以上9作品。繰り返しになりますが、あくまで個人的な体験の範囲でのセレクションであり、この他にもまだ注目タイトル、革新的なタイトルというのは多数あるのではないかとも思っています。これは是非やったほうがいいよ!と言ったタイトルがあれば是非ご教示ください。ネット界隈ではまだまだソーシャルゲームについては腫れ物を触るような扱いが多いのですが、2012年はPSvita等への対応も含めてますます存在感を高めていくのは間違いなく、今後も定期的にフォローアップしていければよいなと思っています。

 では皆様、よいお年を。

サークル敷居亭の同人誌に寄稿しました。

 ブログ「敷居の先住民」のsikii_jさんが主催する同人誌サークル敷居亭の新刊「敷居の部屋の混沌(カオス)」に寄稿させて頂きました。今までニコニコ動画アイドルマスター二次創作(ニコマス)周辺についての分析を主に書かれていた敷居亭の同人誌ですが、今回はニコニコ動画全体にまで視点を広げ、「MUGEN」「ゲーム実況」「ニコ生RTA」といったジャンルの歴史と今を語る分析がされているのですが、その中でニコニコ動画でアニメを見るということ」と題してニコニコ動画でのアニメ視聴スタイルの変遷について書かせて頂きました。

 私は今回はコミケには参加は出来なかったのですが、3日目 東地区 R - 07 b 「サークル敷居亭」での配布ということで、コミケ参加される方で興味ありましたら是非お立ち寄りください。

 また、先程も記事で書きましたが、モバゲー版「アイドルマスターシンデレラガールズ」の盛り上がりを受けて突発的に作成されたコピー本「緊急対談「アイドルマスターシンデレラガールズが熱い!」」にも参加させていただいています。こちらも是非お手にとっていただければ幸いです。

「モバゲーアイマス」は壁を越えたのか?

 モバゲーで先月からリリースされた「アイドルマスター シンデレラガールズ」の評判がとても良い。特にスマートフォン版がリリースされて以来、Twitter等でかなり大きな盛り上がりを見せており、今までのソーシャルゲームとは違い、アイマスファンを中心としたヘビーなゲーマー層に受け入れられているように感じます。先に行っておくと、このシンデレラガールズ」はゲームシステム的には従来からあるドラゴンコレクション系システムの傍流であり、目立って新しい仕組みがあるわけではありません。では一体なぜ今までと違う手応えが発生しているのでしょう。

コミュニティの可視化

 やはり従来のソーシャルゲームとの大きな違いは、アイドルマスターというタイトルが既にネット上に巨大なコミュニティを形成していたことですね。特にニコニコ動画で二次創作を行う、いわゆるニコマスPたちの緩く広い繋がりを通じて、このタイトルの評判が広まっていったというのが大きい。「ガチャで何千円使った」「イベントの回復ドリンクに何千円突っ込んだ」とか明け透けに交わされる会話から、従来のソーシャルゲームに漠然と抱いていた「なんとなく騙されてお金を使わされる」というイメージと違い、はっきりと楽しむためにお金を突っ込んでいる事が見て取れる。そしてその一方で工夫をしながら無料で楽しんでいる人たちが一定数いることも。

 これもまた、別にシンデレラガールズが特別なわけではなく、単に従来のタイトルの場合モバゲーやGREEの中だけでコミュニティが完結していてそのイメージが外に出てこなかっただけ、なんです。従来タイトルとコミュニティの性質自体が大きく違うわけではない。にも関わらずただそれが外部から見えるようになっただけで違う状況が発生しているように見えるというのがとても面白い。

ゲームとしてのシンデレラガールズ

 もう一つ面白いのが、従来のアイドルマスターファン、特にアーケードゲーム時代からプレイしているいわゆる「アケマス」プレイヤーが、シンデレラガールズゲームとして評価していることです。先述したとおりシンデレラガールズのシステムは従来のドラゴンコレクションタイプのゲームと大きく違うものではありません。にも関わらず、駆け引きや創意工夫といったゲームとしての要素がちゃんと面白いという人が少なからずいるんですね。それはXBOX360PS3で発売された「アイドルマスター2」よりもよほどゲームらしいとすら言う人もいます。(私自身もまた、そう思う人間の一人ではあります)。

 特に印象的だったのが、シンデレラガールズを始めた直後のプレイヤーが、手に入れた「衣装」を猛烈な勢いで奪われることに対する阿鼻叫喚の声をあちこちで目にしたことですね。これは最近のソーシャルゲームの、出来るだけ新規のプレイヤーにストレスを与えないというトレンドから言うと実はNGなんです。正直これは失敗したんじゃないかな?と思ったのですが、その後の経過を見ていくと、最初に手痛い試練を与えられることで逆にゲーマーの挑戦心をくすぐり、また前述のように事前にコミュニティが出来上がっていたこともありお互いにアドバイスをしながら試行錯誤をしていくという好循環が生まれているように感じます。

 これもまたシンデレラガールズ特有の現象では決してないのですが、試行錯誤にまで至るプレイヤーを増やすための戦略が、とにかく間口を広げて一定の確率で上がってくる人を待つといった従来の方向とは違う、ゲーマー寄りのプレイヤーをターゲットにした方向性があるかもしれないというひとつの可能性を示したといえるかもしれません。

隙間を埋める想像力

 もう一つシンデレラガールズが盛り上がっている理由をあげるとすれば、アイマスファンが従来型のゲーマーの中でも特に「隙間を埋める想像力」を鍛えられていた人たちだったということは言えるかもしれません。これはおそらく作り手も自覚的だったと思われ、100人を超える膨大な新キャラクターにも関わらず、一人ひとりが少ない情報の中でしっかりとキャラ付けされてるんですね。特にトップページに毎回ランダムで表示される一言コメントがなかなか気が効いていて、一人あたり5、6パターンしかないにも関わらず、ネット上ではそこから膨らませた各キャラの二次創作が早くも展開しつつあります。これもまた従来のソーシャルゲームでは余り見られなかった方向性ですね。

 12月28日現在、アイドルマスターシンデレラガールズはモバゲーランキングで18位となかなかの健闘を見せています。これは旧来のアイドルマスターのコアファンだけではおそらく達成できない数字で、ソーシャルゲームコア層の興味もしっかりと掴んでいることの現れだろうと思われます。この躍進は、今まで相容れないものと思われていたソーシャルゲームプレイヤーと従来型ゲーマーを隔てる壁が、実はそれほど分厚いものではなかったことを示す一例となったのではないかなという感触も得ています。

 最近はスマートフォンネイティブアプリでリリースされるタイトルも増えており、ブラウザ型ゲームが抱えていたレスポンスの悪さ、BGM等演出の弱さといった弱点も克服されつつあります。多様な入口を持つソーシャルゲームが、従来型ゲームの持ち味を上手く取り込んでいくことで、2012年はソーシャルゲームがもっと面白くなっていくのではないか、そんな期待をしています。

なぜ「本が破壊されること」が問題なのか

 スキャン代行業者に対して作家7人が連名で起こした提訴が物議を醸しています。ネット上の反応はこの作家に対する批判が大勢を占めているのですが、私はこの見方には懐疑的です。特に「本が破壊されている」事を問題にするのはただの感情論で筋が悪いという意見に対して、なぜ「本が破壊されること」が問題なのか、というのを主に法的な観点から考えてみたいと思います。

スキャン代行業者提訴で作家7名はかく語りき - ITmedia eBook USER

 この問題を読み解く上でまず考えなければならないのが、スキャン代行業者が行なっている業務というのは実態としてどういうものなのか?ということです。業者によって多少の違いはありますが、多くは「依頼者から書籍を受け取る→裁断・スキャンして電子書籍を作成する→本の書籍を破棄して電子書籍を依頼者に渡す」というフローを取っています。

 これが果たして私的複製の補助に過ぎないと解釈することは可能なのかということですが、どのように理屈をこねくり回してもそのように解釈することは不可能であるというのが私見です。スキャン代行業者のやっていることは明らかに私的複製の範囲を超えており、著作者の持つ「出版権の許可」という根源的な権利を犯していると解釈せざるを得ない。

 その中でも特に問題となるのが「依頼者から受け取った書籍を返却せず破棄する」という部分です。これはつまり、「依頼者から受け取った一般流通している版を原稿にして1部だけ全く新しい版の書籍(電子書籍)を出版していると解釈するしかない」んですね。何しろ依頼者は原稿となった元の版がどういった内容だったのかを確認する術がない。乱丁・落丁や読み取りミスによって内容が違うものになってしまってもそれを交換する術もない。出版業というのは、著作者の許諾を得て著作者が許諾した状態の書籍を発行しなければいけないんです。だから落丁乱丁があれば取り替える。しかし無許諾の出版社であるスキャン代行業者はそれを行うことが出来ない。これだけで、作家としてこの業を認めるわけにはいかないという理由は十分です。これは提訴の記者会見で主に永井豪氏が触れている部分ですね。

 では代行業者が原稿を破棄せず依頼者の元へ返却をすれば良いのではないかという考え方はあります。実際、一部の業者は依頼者が望む場合は原稿を返却しているところもあります。実はこちらのほうが法的にはクリアである可能性が高い。高いのですが、しかし今度は直感的に何かがオカシイのではないかとう疑念が頭をよぎります。つまり、依頼者がその返却された書籍をどう取り扱うかという問題が今度は浮上するんですね。

 今回の提訴による反応は様々ですが、その中でも特に目立っているのは「書籍のスキャンをするのは保管スペースを確保するため。本を買う意志はあるが置く場所がない」といった意見です。つまり多くの場合、仮に裁断された原稿が手元に戻ってきても、利用者の大半はそれを処分するという意思を明示しているんですね。

 古書流通は手元に複製物を残していないということが暗黙の前提になっています。仮に複製をしていたとして実際問題としてそれを証明する手立てがありませんから、限りなく白に近いグレーという取り扱いですね。しかし裁断された書籍が古書として流通していた場合はどうでしょう?もちろんこれも証明する手立てはありません。しかしおそらくはこの裁断した書籍を流通させている人物は手元に複製物を残しているであろうという憶測を多くの人がするのではないでしょうか。そして実際そのように証言をしている人たちも多数存在します。これは限りなく黒に近いグレーと言って差し支えないでしょう。浅田次郎氏を始め何人かの方が「裁断された書籍を見るのはつらい」というのは、いささか文学的な表現も混じってはいますが、それは返本された書籍が裁断されるのとはまったく意味合いの違う、確かに理由のある痛みであろうと私は解釈します。

 もちろん紙の書籍をスキャンして電子書籍化することはスペースの確保以外の利点も多々あります。それについては私自身記事を書いたこともあります。その限りにおいては書籍を裁断することもそれを業者に依頼することも誰に憚ることはないという強弁は可能でしょう。しかし実際のところいわゆる「自炊」をする人の多くはスペースの確保を最大のモチベーションにしていることは疑いようもなく、その限りにおいてこれを作家連が問題視するというのはまったく理にかなった話であろうと私は考えます。

電子書籍はもっと「自由」になる - 未来私考

 電子書籍には非常に大きな魅力と可能性がある。だからこそ我々利用者は、スペースの確保という消極的な理由だけでなくもっと多くの「自由な電子書籍」の魅力を語っていくべきだし、それを積極的に作家にも伝えていくべきでしょう。私たちは作家の新しい創作物をより自由な環境で、豊かな視点で読むことをこそ望んでいるはずなんです。その思いが伝わらなければこの対立は決して解消しない。逆に言えばその思いを正しく作家さんに伝えることが出来れば、今電子書籍を取り巻く問題のほとんどは自ずから解決するだろうとすら思っています。

 実際のところ、「自炊」を実践している人のほとんども、出来うる事ならこの不毛な作業から一刻も早く開放されたいと願っているはずなんです。それは本来、著作者の利益とまったく対立するものではない。利便を得るための対価を代行業者ではなく著作権者にこそ支払いたいと考える人も少なくないでしょう。だからこそ、そういった捻じれ、対立を加速させるスキャン代行業のような業態はやはり問題視されてしかるべきであるし、今回の提訴は至極真っ当なものであると私は考えます。

ニコニコ動画は「ゼロ」を目指す

 ニコニコ動画5周年ということで、新サービス発表会が久しぶりにありました。と言っても新バージョン「ZERO」の導入は来年4月から。そして今回の目玉はついに動き出した利用者への利益還元プログラム。つまりこれはこれまでたっぷり溜め込んだ黒字を吐き出して「ゼロ」を目指すということですね!

 ということで冗談はさておき、注目の2つのサービス、「クリエイター奨励プログラム」と「ニコニコ市場ポイント還元」について解説してみたいと思います。

『原点回帰』ニコニコ動画5周年記念新サービス発表会(仮) - 2011/12/12 19:00開始 - ニコニコ生放送
http://blog.nicovideo.jp/niconews/2011/12/027835.html

クリエイター奨励プログラム

 まずはこちらから。動画や静画、ニコニ・コモンズの素材をこのプログラムに登録すると、人気や貢献度によって一定程度の奨励金を登録者に分配するというもの。原資はプレミアム会員収益からということですが、現在のプレミアム会員売上はおおよそ年間80億円強。生放送後半の質疑応答によると年間4億円程度を見込んでいるということですので、プレミアム会員収益の5%を用いるということかもしれませんね。

 面白いのが、その貢献度の判定にニコニ・コモンズ新設された「コモンズツリー」を用いること。コモンズツリーは投稿動画の素材として利用した作品やリスペクト先の作品を親作品として登録することで動画の互助関係を可視化しようという試み。例えばMMD作品だとしたら、モデルやステージ、音源等を借りてきた先、あるいは素材としては用いてなくてもネタ元として借りた作品を数やルールを特に定めずに登録出来るということです。従来であれば動画説明文で行なっていたものをシステム化、構造化したものという解釈でよいでしょうね。

 発表会によると、クリエイター奨励プログラム自体がこのコモンズツリーを活性化するための仕掛けということ。ニコニ・コモンズに素材として登録された動画や静止画が親作品として登録されると、子作品の人気に応じて「子ども手当」という名前で奨励金の分配率が上がるということのようです。登録動画に奨励金が分配されるのは最低でも動画投稿3ヶ月後、人力によるチェックも行われるようなので著作権的に問題のある動画に奨励金が分配される心配は少なそうです。

トップページ - ニコニ・コモンズ

ニコニコ市場ポイント還元

 こちらはニコニコ市場アフィリエイト収益を原資として利用者にポイントの形で還元するというもの。発表会で用いられた動画では「ニコニ広告に使える」ことを強調していましたが、ニコニコ生放送の延長や有料動画購入にも使える通常のニコニコポイントで間違いないようです。40円につき1ポイントが動画投稿者/生主と購入者にそれぞれ、購入額の合計5%がユーザーに還元される計算ですね。これは機械的な処理のようなので著作権的に問題のある動画であっても問題なく支払われることになるのかな?購入者に利益還元することになることも含めてAmazonアソシエイトの規約的に問題がないのかちょっと心配になってしまいます。現金ではなくポイントでの還元なので問題ないのかな?と思いつつ、1月31日までの期間限定との事なので、特に何も考えずにぶっつけ本番で実験的に行なっているのかもしれません。

ニコニコ市場

利益を小さくする工夫

 最初に冗談めかしてニコニコ動画は黒字ゼロを目指すんじゃないかということを書きましたが、実のところ半分くらい本気だったりします。上記2つとも、原資はプレミアム会員収益とアフィリエイト収入の一部を充てるという形で、予算的にはニコニコ動画本体からの持ち出しではなくあくまで儲け過ぎた利益を縮小する構造になっていることは注目でしょう。先日の4Gamerでのインタビューで、川上会長が、サービスを安定させるためには儲からない構造を維持する必要があるといった持論を語っていましたが、今回のその施策もそういった考えに基づくものなのかもしれません。

「儲けちゃ駄目」は道徳じゃなくて科学の話。論理的に駄目なんです――川上量生氏との特別対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第2回 - 4Gamer.net