情の尻尾が邪魔をする

 コードギアス1期8話「黒の騎士団」においてルルーシュが内心した言葉。これがルルーシュ本人にこそもっとも当てはまる皮肉であることを以前記事にしました。

ずっと側にいるという事 - 未来私考

 今回、ナナリーへの未練を断ち切って前に進む事を決意したルルーシュを、成長ととらえている方が多いのですが、私はこれはルルーシュの本質がいまだに変わっていない…情の尻尾に引きずられて重大な決断を躊躇してしまうことの前触れだととらえています。いくら頭でわかっていても、心がついていかない。スザクという剣と、C.C.という盾によってなんとか心の防波堤を支え、溢れそうな“情”をギリギリ押しとどめている。それはほんのちょっとした亀裂で溢れ出して止まらなくなる。そう見えてなりません。

悪を演じると言うこと

 ゼロ・レクイエムの全貌については未だにわかりませんが(判断中止しています)、ルルーシュ皇帝が暴虐の支配者であるという認知を植え付ける事がその大望の前提となっていることは、異論のないところだと思います。
ルルーシュの暴虐を経験した民衆はよりましなアイデアにすがるしかないよね”
 このシュナイゼルのセリフを見ても、少なくとも作中の人物たちにとってルルーシュの行動が暴挙であると受け止められているのは間違いない。しかし、情の尻尾に引きずられるルルーシュは、果たして悪を演じきることができるのかどうか。

 カレン、カグヤ、黒の騎士団の面々、そして民衆にルルーシュは悪逆の徒だと思わせる事が目的だったとして、その目的を果たすことがルルーシュにできるのか。そもそも周囲にルルーシュの真意が誤解された状況というのを視聴者も望んでいない。彼らを騙しきる事がルルーシュの目的だったとしたならば、それが失敗する方が視聴者の望みに適っているのかも知れないんです。だとしたら、こんな皮肉な状況はないですよね。

シュナイゼルの仮面

 一方でシュナイゼルは、その悪の仮面を、視聴者にも疑われる事なく平然とかぶり続けている。そして今シュナイゼルに与しているシンクー以下黒の騎士団の面々にも、静かに不信の種がばらまかれている。コーネリアが生きていたとしたら、それもまた大きな芽となる“可能性”が高い。

 仮にルルーシュシュナイゼルの目指すところが近いものがあるとして、情の尻尾が邪魔をするルルーシュは、その仮面を最後までかぶり続けることができない。一方でその仮面の裏を見透かされることがないシュナイゼルは、情に惑わされることなく、最後まで悪を演じきることができる。もしルルーシュが本気で最後まで悪を演じるつもりならば、それこそシュナイゼルと共闘するくらいしか、道はない。

“仮面を使いこなせないものに勝利はない。”

 この言葉の真意は、ひょっとしたらそのあたりにあるのかも知れません。