シュナイゼルの限界

 コメント欄も多士済々大変賑わっていますが、シュナイゼルという人物がいったいどんな人間だったのかというのがかなり物議を醸していますね。せっかくですので再検証しつつ、自分の思うところなどを綴ってみようと思います。

「虚無」というキーワード

“ゼロのカオスすら凌駕する完璧なる虚無。多様なる変幻。”
 虚無。シュナイゼルの本質を表す言葉は何だ、と問われたら恐らくはこの一言に集約されるのでしょう。頭が良すぎるが故に、何かを手に入れることの無意味さを悟り、自らは何も望まず、ただ望まれた役を演じる空っぽの人格。他の人物と同様に、ひょっとしたらシュナイゼルも何か心に秘めた願望…人間らしいささやかな願いがあったのではないかとも思っていたのですが…その予想は外れてしまいましたね。とはいえ、小さな望みのために人類を超克しようとしたシャルルとの対称と考えれば納得のいくところではあります。

“兄上には執着すべき欲がない。世が世なら卓越する王であったものを…そこを読み切れなかった私は愚かなのだろうか”
 シュナイゼルの能力についても様々な意見がありますが、彼が極めて優秀な軍略家であり、政治家であったことは作中の描写からみても間違いないでしょう。与えられた条件下で最善を尽くす事にかけては、その右に出るものはない。ただし自らが未来のビジョンを描くことはない。コーネリアの評は、今が乱世でなく治世であればシュナイゼルのこうした心性はむしろ望まれるものであったのにと言うことなんでしょうね。

シュナイゼルの執着

“ご自身の命にすら執着がなかった方が…”
 腹心の部下カノンにこう評されていますが、シュナイゼルにもただ一つだけ執着するものがあったんじゃないかと思うんですよね。それは自らの能力に対する絶対の自信。特に人の心理…その願望を読み解くことにかけては相当の自信を持っていたんじゃないかと思っています。
 常に冷静沈着なシュナイゼルが作中でただ一度あられもなく取り乱した時があります。特区日本の式典でのユフィの乱心時ですね。これはユフィに対する愛情によるものと考えていたのですが、実はそうではなく自らのユフィの人格に対する理解から著しく逸脱した事態にパニックを起こしてしまったんじゃないかと今は考えています。のちにそれはギアスという超常の力によって強制されたものだと知ることになるのですが、自らの読みを無効化してしまうギアスの力はシュナイゼルにとっては認めがたい存在だったとも言えそうです。

シュナイゼルの限界

 第9話「朱禁城の花嫁」でのチェス勝負でゼロ=ルルーシュの人格を見切ったシュナイゼル。実際この時のルルーシュは完全にシュナイゼルの掌で踊らされていて、それはおそらくはかつてシュナイゼルが見知った弟ルルーシュのそれのままだったんですよね。この時点でシュナイゼルは、ルルーシュは成長していないし、これからも成長しないと断じてしまった。人の本性が簡単に変わるとは考えていない。それがシュナイゼルの限界だったと言えるかもしれません。ダモクレスでのちぐはぐな行動も、ルルーシュを読み違えていたがゆえ、と考えると何か見えてくるものがあるかもしれません。