ルルーシュの終着点。

 “世の中には自分一人では出来ない事もあるって知っていたんだ。ナナリーは、ナナリーの笑顔は、せめてもの感謝の気持ちなんだっ”

 
 感情がなかなか追いつかないのですが、淡々と分析していきたいと思います。上記の台詞。ルルーシュが辿り着いた答え。これは、ルルーシュが求める優しい世界に至る答え、ルルーシュの遙かなる旅の終着点ですね。私はこれは最終回の今際の際のルルーシュが、最後の最後に気付くんじゃないかと、あるいは言葉では語らずに視聴者に一緒に考えて答えを出すような形で提示されるんじゃないのかな、と予想していたので、こうもあからさまに言葉で語られると、少々面食らってしまいましたね。いや、見ている最中はしっかり感動もしていたのですが(笑)。

 とまれ、残り4話を残したところで、ルルーシュは旅の答えを見つけてしまった。残された時間でルルーシュが出来ることは、せめて手の届く範囲の人たちだけでもその優しい世界へと辿り着けるように、身を捨ててでも世界にその可能性を示すことくらいなんですね。つまり、愚かなる自分自身が、愚かさゆえに身を滅ぼす様をまざまざと見せつけるそれ以外にないと思っています。

 ルルーシュが、世界に覇を唱え、世界を作り替えるという可能性はないのだろうか?という疑問もあるとは思う。例えば全人類に対してギアスでもって“隣人を愛せよ。感謝の気持ちを持て”と強制すればルルーシュの望む世界は叶うかもしれない。しかしそれはシャルルとマリアンヌがやろうとした、自分にとって都合の良い世界を他人の意思を無視してでも実現するというエゴでしかない。それはユフィやナナリーの望むところではない。仮にルルーシュがそう考えても、スザクはそれを承服しないでしょう。

 そう、今回のポイントは、スザクが自らの意志でルルーシュに付き従うことを選んだと言うことなんですね。スザクなんてよくわからん、所詮裏切りの連続で成り上がった男だろという、作中の指摘ももっともなところもあるのですが、ユフィの無念を押してでもそれを実現せねばならないと納得できる計画でなければ、スザクは承服しない、そう考えます。そうすると、ルルーシュが取るべき道は自ずと、限られてくる。大きく分けて2つ。それはシュナイゼルにどう相対するかという選択なんですね。すなわち

  • シュナイゼルの現実路線を支援する。世界が緩やかな平和に至るよう、罪の一切を我が身に受ける。
  • 世界が緩やかな平和に至るよう、罪の一切を我が身に受ける。が、ナナリーを巻き込んだシュナイゼルだけは許すまじ。

おそらくはこの2択ということになるのではないでしょうか。現状、もっとも“マシ”な選択肢は戦後をシュナイゼルに託すことです。しかしこちらでも指摘されているように、シュナイゼルもまた深い業を背負ってしまっているんですね。為政者は時に何百何千万という人を巻き込むような決断をせねばならない時もある。しかし、それをなんの葛藤も逡巡もなくやってしまえるような人物は、同じような場面に出会えば、また平気で人の命を使い棄てる選択をする。それは、王として信を託すにはやはり足らないんです。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080901/p1

 となると、シュナイゼルに世界を託さずに、それよりも優れた、少なくとも同じくらいの期待を持てる人間に、信を託すしかない。そんな人物は果たしているのだろうか…とコードギアスの登場人物をざっと見渡すと、ただ一人だけそれに該当する人物がいるんですね。それは合衆国中華代表にして黒の騎士団総司令、リー・シンクーその人ですね。最近すっかり描写が減って読者の印象は薄いのですが、そもそもスザクとルルーシュを重ね合わせたスーパーキャラとして設定されているこの御仁。立場的にもゼロが抜けたことで超合集国の実質トップだったりもします。スザクとルルーシュ、その2人が信を託す人物としてこれほど相応しい人物も他にないんですね。地球統一国家のトップとしてリー・シンクーを立てる。おそらくはルルーシュの計画は、その線に沿ったものになるのではないかと思っています。

 しかし、この計画には実は重大な落とし穴があって。いや、作中の人物からすればそれは落とし穴ではないのですが、シンクーにはもの凄く強烈な死亡フラグが立っているんですね。

コードギアス 仕掛けられた時限爆弾 - 未来私考

 上げては落とすのが基本となっているコードギアスの作劇。シュナイゼルを打倒し王手のかかったところで、シンクーの身に何かが起こる。それによってルルーシュの望んだ贖罪が御破算になってしまう。それくらいのことはやってくるんじゃないかな、などと想像していたりします。なにしろ、あと4話もありますからね。