ラグナレクの接続と人類補完計画の違い

 今回その実態があきらかになったラグナレクの接続。みなさん、よくわからないけれどもエヴァ人類補完計画みたいなものでしょ?と言っていて、まあ大筋においてはその理解でまったく問題ないのですけれども、大まかに違いについて説明してみようかなと。まずものすごく大雑把にラグナレクの接続の機能を仮説を立てますが。これはつまり

  • 全人類に、Cの世界のアクセス権限を与える

ということなんですね。いろいろと比喩的な表現が用いられて惑わされますが、おそらく機能としては“それだけ”であると考えます。いくつか作中から台詞を抜粋してみます。

  • “未来永劫に渡って嘘が無駄だと悟った時、ペルソナはなくなる。理解さえし合えれば争いはなくなる”
  • “それがわがラグナレクの接続。世界は欺瞞という仮面を脱ぎ捨て、真実をさらけ出す”
  • “Cの世界…既存の言葉で言うなら集合無意識。人の心と記憶の集合体。輪廻の海。大いなる意思”
  • “マリアンヌの遺体も密かに運び出させて”“身体さえ守っていれば私はまたそこに戻れる可能性がある”
  • “ラグナレクの接続がなされればそのような悲劇はなくなる”“仮面は消える。みんなありのままの自分で良いの”
  • “陛下の願いさえ叶えられれば、その後の世界はシュナイゼル殿下が治められるのがよろしいかと。ただし、政治の意味が変わることはご理解いただきたい”

 ポイントは、ラグナレクの接続後も世界が、国や個人が存続すると言うことが、前提となっているという点ですね。シャルルもマリアンヌも肉体と自由意思を持った人間として存続することを前提として物事を語っている。これは、全人類の意識がゲシュタルト崩壊してディラックの海に流れ出し自己と他者の区別をなくしてしまうエヴァ人類補完計画と根本的に違う点です。

 全ての人がCの世界に接続されると言うこと。それは、誰も彼もが他人の心を自由に盗み見ることが出来るようになるということ。他人の心を恐れ、隠された本心を覗き見たいと願っている人にとっては、それはある意味理想世界のようにも思えます。しかし、それは同時に、見たくもない人間のおぞましい本性をもさらけ出すことになると言うことでもある

 世界が嘘と欺瞞に満ちていると悟りきっている人間にとっては、それはただの前提でありなんら臆するものでもない。しかし、優しい嘘に守られて仮面を被って生きている大多数の人々にとっては、それは生き地獄でしかないんですね。覚悟のない人間が“なんでも聞こえる耳”を持ってしまったらどのような悲劇が待っているかは、コードギアスの作中でもマオというキャラクターが体現していたりします。

サトラレ(1) (イブニングKC)

サトラレ(1) (イブニングKC)


 あるいは絶望し、あるいは発狂し、そして何割かの人間はその状況に達観し、一通りの混乱が終わった後に、嘘のないありのままの自分をさらす世界がやってくる。それがシャルルの目論見。テレパスによるユートピアという類型は数多のSFで語られていますが、それを人工的に強制的に作り出してしまおうという魂胆なんですね。そして、その過程で何百万何千万何億の人が苦しもうが殺し合おうが、それはシャルルにとっては俗事なんです。なぜなら、彼はもうとっくの昔に世界に絶望してしまっているのだから。

 これが善か悪か、肯定されるべきか否定されるべきかというのは、個々人の価値観によるところでしょう。人はいつの日か革新して解り合える日が来るという夢想。それはSFの究極テーマの一つでもあります。それが達成されるならば何億何十億の犠牲も仕方がないというのも、一つの考え方です。ルルーシュは今回感情の赴くままに両親の夢想を一刀両断し、視聴者も多くそれに同調したわけではありますが、本当にそれは簡単に切り捨てられるものだったのか、あるいは別の可能性があったのではないかというのは一考してみてもよいかもしれません。

 余談ですが、作中でシャルルとマリアンヌの再登場は、ひょっとするとあり得るかも?と思っていたりします。その時こそ改めて彼らの計画の是非が問われるのかも、しれませんね。