対価を払う理由

 人が何かに対価を払う理由というのは大雑把に言って2通りしかないと思っている。不快を解消したい時と、不安を解消したい時だ。

 倫理的な理由で支払いたいというのも、良心の呵責という不快を解消するためだし、業界のため、文化のためみたいなお題目も、好きなものがなくなってしまうかも、という不安に根差した理由といえる。

 ただし、一口に不安や不快の解消のため、と言ってもそこには強い動機と弱い動機というものがある。上にあげたような良心に根差した理由というのは弱い動機の典型例だろう。こういったものは他に直接的な不安や不快があれば簡単に吹き飛んでしまう。良心のみに頼った商売は成り立たないと言われる所以はここにある。

 しかし直接的な不安や不快に対価を払おうという意思は非常に刹那的で、その危機が去った瞬間にスッと熱が醒めてしまう。ギャンブルは不安と不快を同時に解消するという強烈な動機を与えるが、それがあとに残すのは多くの場合虚しさだけだ。

逆に漠然とした不安や不快に根差した意思はずっと尾を引く。商売というのは、言わばこの強い動機と弱い動機の組合せで成り立っていると言えるのではないか。

 フリーミアムビジネスというのは基本的に人の良心に頼って成り立っているという点で基盤が脆弱であるように思われるが、良心=弱い動機をベースに置くことで、一旦対価を払うと決めた人が持続的に対価を支払い続けやすい。その上でプレミアムの果たす役割は、最初の第一歩を踏み出す強い動機を喚起することにある。それは刹那的なものでいい。今すぐそれを何とかしたいと思わせる理由があれば人は容易に対価を支払う。そこを取り違えて強い動機を打ち出せないサービスは死屍累々となるだろうことも想像に難くない。

 Amazonが、kindleを無償試用で気に入らなければ代金も要らないし返品も不用というキャンペーンをするそうだが、私はこれは失敗するだろうと直観した。

Amazon Promotion Tempts Book Lovers With Free Kindles – TechCrunch

 試用したあとで対価を支払うというのは言わば弱い動機に根差した行動といえる。しかし実際に200$也という対価を支払うにたる強い動機が見当たらない。言ってしまえば、200$なりの手持ち金を使うという行為そのものがそもそも不安を増大させるわけで、この手のキャンペーンを成功させるためには「試用後にkindleを返品しなくてはならない」という不快な出来事を用意するのが定石になっているわけで。

 さらに付け加えるなら、対価を支払わないという選択をした人は、自分の良心と整合をとるために「kindleは気に入らなかった」と言い続ける弱い動機を獲得してしまう。高い費用をかけてアンチを増やしているようなものだ。

 このキャンペーンがどれくらいの規模で行われるが定かではないが、大規模にやった場合、フリービジネスの顕著な失敗例として記憶されることになるかもしれない。