サイハテを語る

 先日のエントリでサイハテに勝手な意味づけをするなと怒られまして、自分自身でもまったくその通りだと思った次第ですが、沈黙しても誤解されたままになってしまいますので、サイハテについて改めて語ってみたいと思います。

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サイハテとは?

 サイハテとは小林オニキス氏が2008年1月16日にニコニコ動画で発表したオリジナルソング。アップテンポなビートに乗せて歌われる高らかな別れ歌。ポップ・レクイエムというタグが示すように死別という本来悲しむべき出来事を、明るく、それでいて切なさが残る曲調でまとめた、VOCALOIDオリジナル曲のなかでも屈指の名曲です。

聞けば聞くほど味わいが増す

 この曲のストーリーをオーソドックスに解釈すれば、歌い手(初音ミク)が、火葬される愛する人を晴天の空の下で見送る、というものになると思います。ただしそれだけにとどまらないのは、悲しみよりも、生ききったという充足感、またいつか出逢えるという強い絆、死を受け入れてこれからの人生を生きていく力強さ、そういった息吹があるんですね。あなたの生と、あなたの死には意味があった。そういったイメージが聞き手の頭の中を駆け巡る。

 送る側、送られる側それぞれが自分だったら、誰かだったら、と。そうゆう想像力を刺激するゆえか、ニコニコ動画上ではメルトに次ぐほどの大量の派生動画、それも特にアレンジバージョンが非常にたくさん投稿されているんですよね。人の数だけ死と別れがある。そのひとつひとつに物語がある。それが聞き手に様々な解釈を許す懐の広さになってるんです。

サイハテ宇宙派

 そのなかでも特筆すべき動画のひとつがこちらです。

 立ち上る煙をロケットの噴煙に見立てて、宇宙開発の尊い礎となったライカ犬を悼む、という大胆な解釈。この動画を初めて見たとき、涙があふれてとまらなかった。そしてこのサイハテという曲の持つ無限のポテンシャルに改めて気付かされたんですね。

対称性というモチーフ

 サイハテの原曲に用いられているPVは、白黒の死を連想させる色使いとともに、対称性というモチーフが意識的に多用されています。こちら側とあちら側。鏡映しになった二つの世界。それは行き来のかなわない扉の向こうとこちらが、けして断絶していない、〓がっているんだという想像力を喚起します。いずれわたしもそちら側へ行く、いつもあなたはわたしの隣にいる。様々な解釈が可能ですが、届かないけど近くに感じる。永遠の別れだけれどもいつでも逢える。そうゆう矛盾のような、不思議な感覚が付きまとうのはこのPVのイメージによるところも大きいのではないかと思います。

英語歌詞バージョン

 このすばらしい曲を海外にまで届けようとSweetAnnによる歌唱による英訳バージョンまで登場しました。

それはけして特別なことではない

 過日、ひとりの動画製作者の訃報が伝えられた。リンレンランキングを製作していたkashiwagi氏。その彼の死を悼んで献歌がささげられたんですね。

 その日は誰にでも訪れるけして特別なものではない。別れはいつも突然で、それを受け入れるのも簡単ではない。それでも、その人生がたとえありふれたものでも赤く色づいた瞬間があったんだと思える。そんな想像力をもたらすサイハテという曲はボーカロイド初音ミクという垣根を越えて多くの人の耳に届いてほしい珠玉の一曲です。