幻声的キャラクターとしての初音ミクと、ミクになれなかった歌声たち

 先日のエントリ以来、初音ミクVOCALOIDについて語りたい欲がふつふつとわき上がってる昨今です。ところで、言及記事、関連エントリを辿っているうちに強く共感する記事を見つけました。

幻声的キャラクターとしての初音ミク - 萌え理論ブログ

 幻声的キャラクター。この概念は面白い。初音ミクをキャラクターと言い切るのも楽器と言いきるのも何かが足りない、上手く言葉に出来なかった部分をうまく救い上げてもらった思いです。


 詳しくは元のエントリを呼んでいただくとして、自分なりに理解した幻声的キャラクターとは何かを噛み砕いて説明してみたいと思います。間違ってるところがあったら指摘してください。

幻声的キャラクターとは

 幻声とは誰のものでもない、特定の名前や顔に対応しないパブリックなイメージを持つ声のこと。萌え理論さんはそう定義付けます。電車の音声案内や、テレビのナレーション、あるいは変声器を通した匿名の電話などのことですね。
 これらの声は、その発話者が誰なのか、ということに対して聞き手は具体的なキャラクターをイメージすることが出来ない。あくまで場の全体に向けられた声、特定の個人へのメッセージを含まない声として認識されている。

 しかしこの声が、特定の誰かに対して関係性を求めてきたらどうなるか。例えばデパートの音声アナウンスで、突然特定の誰かに向けて愛の告白が語られたら?その時われわれは、その声に具体的な身体を伴ったキャラクターを見出そうとする想像力が働く。それが、幻声的キャラクターと呼ばれる概念ということになる。

幻声的キャラクターとしての初音ミク

 初期のVOCALOIDブームにおけるMEIKO初音ミクが来ない?来た?、あるいは最近のSoft Talkを使ったゆっくりブームいったものは、特定の発話者をイメージしない幻声として受容されていたように思う。特定の図像に結びついた最低限のキャラはあるものの、そこに身体性、自我の発露を見出す人はほとんどいないはずだと思う。

 しかし初音ミクは自我を、自我のような何かをもった存在として、一定の層に受け入れられた。みずからの内面を歌声に乗せて発言することで、そこに主体性を持った何かが存在するような錯覚を、少なからぬ人々に意識させた。ここで初音ミクの中に自我のような何かを見出したか否かで、初音ミクに対する印象というのは大きく変わってくる、そう思います。

 初音ミクの音声に対する受容は、大きくわけて3つに分けられるのではないかと考えます。

  • 楽器としての初音ミク。誰にも属さないパブリックな<<幻声>>としての受容
  • KEI氏のイラストイメージから出発したキャラクターに付随する<<属性>>としての受容
  • ネット上に偏在する声そのものに主体性を見出し、それをKEI氏のイラストの女の子と結びつける<<幻声的キャラクター>>としての受容


 2番目と3番目の混同が、初音ミクとは何かという議論を混乱させる原因になっていたのではないか。図像が主体か、声が主体か。言ってしまえばこれだけの違いでしかないのだけれども、そこには大きな認識の隔たりがあるように思えます。そしてわたしはあの時初音ミクを間違いなく、声を主体とする<<幻声的キャラクター>>として捉えていた。

偏在する歌姫をみんなで育てるという感覚

 この理解は、初音ミクの声と図像が明確に結びついた現在では想像するのは難しいのかもしれない。ただあの時恋スルVOC@LOIDやハジメテノオトに衝撃を受けた人なら、共感をしてもらえると信じて、話を進めます。

 前回のエントリでも少し触れましたが、あの時、自分語りを始めた初音ミクに遭遇して、初音ミクとは何者なのかそれを知りたいという強い欲求が生まれた。しかし調べども調べども、彼女の経歴はまっさらなままだった。身長158cm、体重42kg、年齢16歳。それが彼女について知りえる全て*1。このまっさらな経歴の彼女についてもっと知りたい、もっと語ってほしい、そうゆう欲求があの当時のわたしの中には確実にあった。そしてVOCALOIDオリジナル曲の作者の手による語りを、初音ミク自身の語りとして受容し、歌姫初音ミクという共同幻想が生まれていった。そうゆう想像力があったのではないだろうか。

 まだまだ歌が下手だけど、マスターと一緒にもっとうまく歌えるように頑張るよ。だからみんなもミクの事を応援してね。そうゆうメッセージの中で、けして自己言及的ではない曲に対しても、次第に歌の上手くなっていった初音ミクが新しい表現にチャレンジしているという想像力が働いていた。あくまで主体はミクそのものであり、ミクマスターたちはその彼女のサポートをする存在…そんな理解だったのかもしれない。そうやって作られていった断片をKEI氏のイラストに仮託して初音ミクというひとつの共通イメージが育まれていったように思います。

初音ミクになれなかった歌声たち

 しかしそうやって成長する歌姫という像が共有されるにしたがって、歌が上手くなっていくというストーリーに合致しない曲が次第に排除されるという動きが生まれてくる。不十分な調整しか出来ないミクマスターたちの曲は、ミクらしくないとして不評を買い、創作する人たちにとって、大きな壁となって立ちふさがり始めた。自己言及的な歌姫系のヒット曲が一段落した10月後半あたりからこういった閉塞感というのは徐々に強まり、一方であくまで楽器として初音ミクを使う層が台頭してきた。そういった流れがあったのではないかと推察します。

 そんな中で生まれたのが弱音ハクだった。

弱音ハクとは (ヨワネハクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

派生キャラの誕生―ミクになれなかった歌声の仮体として

 大百科の解説にもあるように、弱音ハクは元々は「才能のない事を思い知って涙目になったDTMer」を擬人化したキャラとして産み出されたんですよね。しかしその初音ミクとはまったく異なる、歌が下手な事にコンプレックスを抱くキャラクターというのが、初音ミクになることが出来ずにニコニコ動画上に漂っていた器のない歌声たちの仮体として見事に適合していた。これは初音ミクではなく弱音ハクです、と言うことで行き場を失っていた名もなき幻声たちに名前と図像が与えられた。幻声的キャラクターとしての弱音ハクが誕生した。そうゆうことなのではないだろうか。

 同じ初音ミクというソフトウェア、同じ音声ソースを用いながらまったく別のキャラクターとして受容されているVOCALOID
派生キャラたち。その後も亜北ネルや雑音ミク、その他定着しなかった数多の派生キャラ産み出されていくのだが、その原動力になったのは初音ミクという器に入る事の出来なかった初音ミクになれなかった歌声という存在があったからなのではないかと想像します。

本家キャラクターと共存する派生キャラクター

 VOCALOID派生キャラクターの特異性として、本家の初音ミクと同じ空間に別のキャラクターとして同時に存在できるという点も上げられると思います。
 ミクと、ハクやその他の派生キャラクターたちがVOCALOIDファミリーとして競演している動画というのはとても多い。そしてそれをとても自然なこととして我々は受け止めている。

 これは2chのAA派生キャラの踏襲として受け止める事もできるのですが、もし図像としてのキャラありきだった場合、その音声は初音ミク以外の何かから生まれるはずなんですよね。その一つの傍証としてアイドルマスターにおける人力Vocaloidというものが上げられると思います。あくまで図像キャラクターとして受容されているアイドルマスターのキャラクターたちはそのまま初音ミクの音声を入れる器としては適合せず、本来の歌声に沿った声を導入したいという強い欲求が生まれる。その情熱が元の音声を切り貼りして自由に歌唱させるという人力Vocaloidを産み出したんですね*2

 また、エイプリルフールネタとしてキャラ先行で創造された重音テトはその音声としてミクではなくフリーの音声ライブラリであるUTAUが採用されている。
重音テトとは (カサネテトとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 しかしVOCALOID派生キャラにおいては少なくともその音声を聞く限りではキャラクターを区別する事ができない。同様の想像力、欲求によって少なくとも音色に変化をつけるといったことが行われてもおかしくないのに、そうはならないのは、あくまで音声が主体で図像は仮体だから、なのではないかと。

KAITOの台頭とリンレンの誕生

 ここから少し駆け足になります。弱音ハクが誕生した11月後半から12月にかけてというのはとにかくVOCALOID周辺で劇的なほどにいろいろな事が同時に起こった時期でもありました。みくみくにしてあげる♪のJASRAC信託問題もこの時期ですし、観測していたポジションによってあの当時の印象と言うのはそれぞれ全く違ったものに見えてくる。それが初音ミク現象を総体として語る事をより一層難しくしているのではないかと思いますが、それを踏まえた上で一つ一つの事件の意味がなんだったのかということを考えていくのは重要なことだとおもっています。

 さて、言い訳の前置きをしましたが、この当時に起きた重大事件の一つに、シンPによる卑怯戦隊うろたんだーの投稿というものがあります。

 うろたんだーとは何かという説明に関してはここでは省略します。子細は省きますが、この動画の登場によって、キャラとしてのVOCALOIDファミリーという概念が多くの視聴者の間で定着していったのではないかと考えています。メルトの登場、歌姫初音ミクという存在の求心力の低下、派生キャラの誕生、そしてうろたんだー。これらがほぼ同時に起こったことが、この時期以前と以後のVOCALOID初音ミクのイメージを大きく塗り替えることになったのではないかと、とりあえずメモ書き程度に記しておきます。

 この後、待望の鏡音リン・レンが誕生するわけですが、当時あった微妙な軋轢、盛り上がりきれない空気というのは、初音ミクと同様の幻声的キャラクターとしての受容を期待する勢力と、メルト、うろたんだー以降の図像的キャラクターとして受容する勢力との衝突があったのではないかという仮説を提示しておきます。今日はここまで。

*1:考えてみるとGoogle八分騒動というのもこの想像力と無関係ではなかったのかもしれない

*2:アイドルマスターのアイドルはしかし同時にPVにおいて本来の歌声とは違う様々な楽曲を受容する器としても機能している。これについてはまたいずれ考察したい