「初音ミクって何がすごいの?」という問いに答えてみる
ひさしぶりにガッツリとした初音ミクについての考察記事を読んで、自分でもちょっと書き留めておきたいな、と思いました。
初音ミクはすごい。そのことに異論のある人はもはやほとんどいないのではないかと思います。彼女のために何万というオリジナル曲が書かれ、それを何十万という人達が歌い、何百万人あるいはそれ以上の人達が聞いている。その広がりは国境も越え、彼女の歌声とキャラクターの創作に関わる人達は今も増え続けている。そんな存在はおそらく空前絶後でしょう。問われているのは、いったい何故彼女が、彼女だけがそこまで巨大な存在になることが出来たのか、ということですね。
私はそれは、初音ミクが不完全な存在だったからだと答えます。
歌声しか存在しなかったから、そこに物語を書き込む人達が現れた。声が少し物足りないから、それを自分の声で歌う人達が現れた。1枚の立ち絵しか存在しなかったから、イラストを書く人達があらわれた。イラストだけでは物足りないから、動画を作る人達が現れた。3Dモデルを作る人が現れた。それを支援するツールを作る人が現れた。その創作の連鎖が、ほんの小さなコミュニティで始まったこのキャラクターをいつしか世界最大の歌姫にしてしまった。
初音ミクのことをよく知らない人に説明するなら、こんな感じでしょうか。そして、その創作の連鎖を支えたのは間違いなくニコニコ動画という場の力です。順を追って、歴史を辿ってみましょう。
初音ミク以前のニコニコ動画
初音ミクが現れる以前のニコニコ動画は、いわゆるMAD文化―出来合いの作品を組み合わせてまったく違う文脈に作り替えてしまう遊び―が全盛を迎えていました。MAD文化自体はニコニコ以前から古い歴史を持っていますが、出来合いの作品に違う意味を加えるという作法がニコニコ動画のコメントシステムと非常に相性がよく、当時のニコ厨達はとにかく何か新しいネタがあればそれに別のネタを手当たり次第に組み合わせて面白がっていたんですね。
初音ミクは、Vocaloid2という名称が示す通り、YAMAHAの歌声合成技術の第二世代。第一世代であるMEIKOは当時既にニコニコ動画の一部で用いられており、そのMEIKOを使用していた人気動画製作者の一人、ワンカップPが、初音ミクブームの最初の火付け役になります。
それはいつもの祭だった
歌声合成技術の第二世代が出る。しかも今度はなんだか可愛い女の子のイラストがパッケージだぞ、ということで初音ミクは発売前から既に一定の注目を集めていました。といっても、今のような大ブームを予感させるものではなく、あくまで新しもの好きな人達にとって新奇なオモチャが出るぞ、ということで楽しみにしていた人が少なからずいた、ということですね。しかしどうやらこの時点で既にメーカーの予想を上回る需要があったようで、Amazonで注文したのに届かないという事態が発生します。その悲喜こもごもを表現した一連の動画がランキングを席巻し、その時初めて多くの人の目に初音ミクという存在が知れ渡ったんですね。
といってもまだこの時点では初音ミクもMEIKOもあくまで既存曲のカバーや替え歌を歌わせるツールといった体で、あくまでニコニコ動画のMAD文化の一端に過ぎなかったんです。初音ミクブームの決定的な契機はミクオリジナル曲として最初の大ヒットとなったこの曲の登場を待つことになります。
歌姫初音ミクの誕生
公式には何の背景設定も持たない初音ミクが、自分自身のことを歌にして歌う。この時から歌姫初音ミクというキャラクターと物語がユーザーたちの手によってどんどん付加されていくことになります。その当時のことは以前にも一度記事にしました。
上記記事では、初音ミクの初期のブームは初音ミクというキャラクターの共同幻想を皆が抱いたから、としていますが、実はもうひとつ重要な要素があります。それは、初音ミクを使って、初音ミク自身について歌った曲を書けば皆に聞いてもらえる、という事です。作曲をやっている人にとって、自分の作ったオリジナル曲を誰かに聞いてもらえる、それ以上の喜びというのはありません。それまではニコニコ動画という場は出来合いのものと出来合いのものを組み合わせる事が主で、そこに真っ更な創作を受け入れる土壌というのはまだなかった。それが初音ミクという媒体と組み合わせて作ればオリジナル曲を聞いてもらえる。であるからこそ気合を入れて「初音ミクらしさ」を追求するし、その結果として初音ミクというキャラクターはどんどん洗練されていった。そしてその物語を持つ楽曲群が今度は絵師たちの創作意欲を刺激します。
無限に広がる創作の連鎖
初音ミクのためのオリジナル曲を聞いた絵師たちがそこからイメージを膨らませて描いたイラストをPixiv等に投稿する。あるいは特定の動画の為にイラストを書き下ろしてそれが動画にも用いられる。公式に用意されたたった2枚のイラストでは物足りなかった動画製作者達にとってはそれは非常に強力な側面支援で、お互いに求め求められる関係の中、曲もイラストも膨大な点数が作られ続けていきます。既にある初音ミクに関する創作が組み合わせの片一方となり、もう片一方に真っ更から創作した新しい何かを組み合わせる事ができる。それが当時ニコニコ動画で流行したものの中で、ミクだけが持っていた特質なんです。
ここで更に、もともと無関係なものを組み合わせて使うMAD文化が下地としてあったことが功を奏します。用意されたイラストや楽曲を、製作者の許可も取らないままに組み合わせ、つなぎ合わせ、あるいは改変する。それは多少のトラブル含みではありましたが、ニコニコ動画の元々の文化として受け入れられて行きました。人気の楽曲に、まったく別の誰かがハイクオリティなPVを組み合わせる。勝手にカラオケバージョンを作って歌ってみる。曲だけ頂いて替え歌にしてしまう。無法といえば無法ですが、それゆえに無限の順列組み合わせが試され、爆発的な広がりを見せていったんです。
肉体を得た初音ミク
初音ミクの広がりを考える上で、もうひとつ外せない要素がニコニコ技術部との関わりです。ニコニコ技術部とは、ニコニコ動画上で何らかの科学技術を用いた動画を投稿している人たちの総称。彼らもまた、初音ミクの動画ならば何でも見てもらえるという状況を利用して、初音ミクをモチーフにした様々なガジェットを制作、発表していきました。その中でも特に注目を集めたのが、初音ミク実体化計画と呼ばれる、初音ミクを何らかの形で現実世界に具象化させようとする一連の作品群。この流れがあったからこそ、初音ミクはイラストや音楽といった分野に留まることなく技術者や研究者をも巻き込む一大ブームとなって、やがて伝説のライブまで辿りついた、そう考えています。
ニコニコ技術部とは (ニコニコギジュツブとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
初音ミク実体化計画とは (ボーカロイドジッタイカケイカクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
初音ミクが具現化して現実にライブを行う。その夢想自体は実はミクブームの最初期からありました。しかしそれは肉体を持たない不完全な存在であるミクにとってはあくまで絵空事の世界のはずだったんです。
それが、MMDに代表されるような誰でも扱うことの出来る3Dモデルが登場し、その3Dモデルを立体投射する装置の開発に挑戦する者たちが現れ、ついには立体投影されたミクが生バンドの演奏をバックに歌い踊る現実のライブがこの世に実現してしまったわけです。こんな展開は、少なくとも発売からわずか3年足らずでこんなことが実現してしまうなんてことは、さすがに誰も想像出来なかったでしょう。
初音ミクを創ったのは誰か
改めて、初音ミクという存在の何がすごいのか、という問いに答えます。それは、初音ミクという存在を今の形に創り上げるその過程に関わった人の数の圧倒的な多様さです。
エンジンを作ったYAMAHA、ライブラリとパッケージを作ったクリプトン、歌声を吹き込んだ藤田咲さん、イラストを描いたKEIさん。それは初音ミクというソフトウェアの核をなす要素ではありますが、いま世間一般で初音ミクとして認識されている存在のほんの一部でしかありません。ほんのわずかな要素しか持っていなかった初音ミクに、皆が思い思いに形を加えていき、膨大な数の人が育ての親となった。それゆえに数多くの人が彼女を身近に感じ、親身をもって接することとなった。それこそが初音ミクのすごさの源泉であり、今もまた成長を続ける原動力である、そう私は考えています。