眩暈の遊びについて改めて考える
過去2回にわけてカイヨワの言う遊びの4分類のうち、競争、運、模倣の3つについて検討してきました。残すところはあと一つ。眩暈(インクリス)の遊びです。
メリーゴーランドによる陶酔、ジェットコースターによる混乱や恐怖、そういったものをカイヨワは眩暈の遊びと定義している。どうもこの眩暈の遊びに関してカイヨワは否定されうるべきもの、排斥すべきものというニュアンスを言外に含んでいるようにも思うが、とりあえずここではそういった立場は取らない。ともあれ、これらの遊びに共通する特徴は、遊戯者が無心、あるいは自失といった思考停止状態におかれているという点であるといえる。
ところでメリーゴーランドによるそれと、ジェットコースターによるそれは果たして同質のものなのかといわれれば少々疑問符がつく。メリーゴーランドや舞踏、あるいは音楽鑑賞などもこれに含まれると思われるが、それらは適当なリズムに同調し、一定の緊張感の中で安定した意識レベルを保つことにより快感を呼び覚ます。一時期ゲーム脳なる言葉が流行したことがありますが、テトリスなどの単調なパズルゲームを長時間プレイしている時の状態が、まさにこの種の陶酔と同様の快感ではないかと思われます。これを仮に<<陶酔の遊び>>とします。
一方でジェットコースターやお化け屋敷、あるいは高額の宝くじやスロットマシーンが当たった時などの興奮による自失というのは前者とはずいぶん趣が違うように思われます。遊戯者が事前に緊張状態におかれているというのは同様ですが、自失状態になる原因が、繰り返しのリズムではなく、突然の予期せぬ、あるいは予想した以上の感情の昂ぶりに見舞われて思考停止状態になるんですね。
これによく似たものとして、びっくり箱やサプライズパーティーに感じる楽しさというものもあります。こちらは遊戯者に事前の緊張を強いない。というよりもそもそも遊戯に参加しているということ自体を知らされていない。しかるに箱を開け/扉を開けた瞬間に予期せぬ襲来者に驚愕し、前後不覚になった後、深い喜びを感じる。これを仮に<<驚愕の遊び>>とします。眩暈の遊びは大きく分けてこの2つの方向性があると考えられます。
全てのゲームを律するリズムという要素
そうしてみると<<陶酔の遊び>>は、この世界でゲームと呼ばれるありとあらゆるものに適合するようにも思われる。一定のリズムで、我を忘れて夢中になって同じゲームを繰り返し繰り返し遊ぶ様というのは陶酔状態といって差し支えないでしょう。特にコンピューターゲームの世界では良く出来たゲームのことを「中毒性が高い」「麻薬のようなゲーム」といった形容を持って褒めちぎったりもしますね。以前呈示した持論に沿って言えば、娯楽の核を持続的に供給する構造こそがまさにそれに該当すると考えられ、ゲームというものを考える上で外すことの出来ない最重要な要素の一つであると言えると思います。
- ゲームとは、「娯楽の核」を用いて「解決可能な課題」を「持続的に供給」する装置である
カイヨワはまた<<競争の遊び>>と<<眩暈の遊び>>は結びつきがたいという論も展開していますが、競技者が己の能力を最大限に引き出す段階で、陶酔に似た無思考・自動的な状態にしばしば到達することもまた知られています。モータースポーツや乗馬競技での人車(人馬)一体の感覚といったものもありますね。団体競技において自己の意識を越えて全体が一つの運動体になるような意識の統一もまたこの範疇でしょう。優れたゲームというものは、プレイヤーをそういった無我の境地、自動化の状態へと導く力を持っている、そう考えます。
「不意」と「安全」がもたらす快感
では、もう一方の<<驚愕の遊び>>のほうはどうでしょう。ここで注目したいのは、人はいったいどのタイミングでこの恐慌状態を楽しいと感じるのか、ということです。驚いた瞬間でしょうか?違いますね。例えば銃声のような爆音がして驚いたあとに、目の前に実際に銃を構えた兵士が立っていたら喜ぶどころではない。しかしその銃を持った兵士がよく見たら実は友達で、再び手に持った銃の引き金を引いたら銃身から花が飛び出したら、どうでしょう。しばらく混乱したのち、思わず笑いがこみ上げてくる様子が目に浮かびます。そう、人はいったん恐慌状態になった後、自分の置かれている状況が実は安全であると知った時に強い快感を感じるんですね。この喜びを感じさせるためには危険な状態から安全な状態に移行する、あるいは安全な状態から不意に危険な状況を出現させるといった落差が必要になります。であるので、この快楽を中心に据えてゲームをデザインすることはなかなか難しい。しかしゲームをより刺激的なものにするスパイスとして落差を演出するというのはとても重要であることは間違いありません。
ちなみに上の記事で取り上げたスペランカーなどは、<<驚愕の遊び>>が娯楽の核になっている希有な例のひとつとして挙げることが出来るかと思います。もちろん、デザイナーが意図して盛り込んだとは思わないのですが、プレイヤーが予想だにしない死に様を、リズミカルに繰り返すスペランカー先生の勇姿は我々をゲームというものの深淵に導く力に満ちています。
この、驚くべき死に様の面白さをより意図的に盛り込んだゲームとして秀逸なのが、プレイステーションで発売された「エイブ・ア・ゴー・ゴー」シリーズですね。
本当はもうちょっとたくさん死んでる動画があるといいんですけれども(笑)。複雑な操作に微妙なラグのある仲間の行動、意地の悪い配置のトラップ等々、不意に訪れる死に驚き、笑いながら知恵と工夫で少しずつ歩を進めていく。難易度の高いアクションゲームは多かれ少なかれこういった要素を盛り込んでいるんですが、エイブシリーズはその面白さを特に自覚的に盛り込んだ傑作ゲームと言えます。この奇妙な生物の死を何百回となく笑いながら、しかしそこに込められたメッセージはその真逆にあるというところもまたこの作品の深みのあるところですね。
2作目はプレミアム価格がついてしまっていますが、1作目はお安く求められるようです。PSアーカイブに入荷してくれるともっとオススメしやすいんですけどねえ。