ルルーシュという少年に欠けているもの

 『コードギアス』のルルーシュに足りないものはここら辺のことだったんだよね。


Landreaall』がおもしろい。 - Something Orange

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080529/p2

ルルーシュは責任を自らが引き受けるという覚悟が、いまだに出来ていない。それは、まったくの事実です。ルルーシュは、自らの生を正面から受け入れ、全うするという生き方を選択できない。それゆえに、ルルーシュという少年は、どれだけ大がかりな、壮大なる歴史的事件の渦中にあっても、どこか満たされない、心に欠落を抱えて生きているんですね。

もっとビッグになりたい。俺に力があったら!俺に金があったら!あんなこともこんな事もできるのに!そう思い込んで、全てを手に入れてみたところで、その心の空白は決して埋める事が出来ない。

このコードギアスという作品は、そんなルルーシュの心の空白をどうやったら埋める事が出来るのか。そこに至るまでの心の旅…嫌な言葉で言えば「自分探し」の物語なんですね(笑)

そういった栄光と挫折の物語の体裁をとりつつ、コードギアスが決定的に違うのは、ルルーシュの打ち立てた計略、戦略というのは短期的に見ても長期的に見てもことごとく失敗―敗走―を繰り返しているんですよね。そもそも、ルルーシュという少年には成功のカタルシスが与えられない。もう一方の主人公であるスザクに、いつになっても勝つ事が出来ないのがルルーシュに与えられた宿命なんです。これは、本当に辛い。そして滑稽でもある。コードギアスをギャグアニメとして見る見立てというのはこのルルーシュの滑稽さ、運命に抗いながら結局運命に流されてしまう天運に見放された少年のもののあわれを笑うという事なんですね。それはそれで一つの見方だとは思います。

R2第7話での決定的な挫折の後、ルルーシュは今まで目にもくれなかった周囲の人たちのが、ずっと自分を支えてくれていたという事実に気付きます。そしてその恩に報いるために身を捨てる覚悟で…自分が居なくなった後も彼らが彼らの日常を維持できるように尽力する事を誓ったんですね。これは実は、R1第4話ころの、ユフィと出会うまでのスザクの心境に実は近いんじゃないかと思っています。「それでダメなら、自分はこの世界に未練はありません」茶番の法廷に自ら再び赴こうとしたスザクの放った台詞。賭けるものが己の身一つと、100万市民の命という決定的な差があるものの、R2第8話でのルルーシュの心境は、この時のスザクのものと非常に近いように思うんですね。「これでだめなら、俺はこの世界に未練はない」それがルルーシュの偽らざる心境でしょう。

だけどこれはまったくの自己満足、自己欺瞞でありまったく責任の回収にはなってないんですよね実は。己の意志では如何ともしがたい部分が世界にはある事を認めつつ、その中で最善を尽くそうとあがいてこそ、そして実際にそれを形にしてこそ、初めて責任を果たした事になる。そこから目を背けたルルーシュに再び絶望が叩きつけられる日はそう遠くはないでしょう。そして、その絶望の淵から再び立ち上がるルルーシュの姿に、私は、我々は涙するのです。

とまあ途中でかなり妄想に突っ走ってますが(笑)。真正面から責任を果たす事を主人公に求める向きには、是非ともスザクに注視して欲しいななどと思っています。スザクサイドからの視点。ルルーシュサイドからの視点。その両方ともが高度に構築されているのがコードギアスという作品なので。

ルルーシュは、ユーフェミアの思想を乗り越えられたか?〜第一期はスザクの物語だったのだと思う - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080528/p1

あと、ランドリオールは傑作ですので、是非みなさん読むと良いですよ〜。

Landreaall 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

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