「宇宙要塞ア・バオア・クー」を読む

 事態は一気に最終局面へ。自らの知覚と、周辺状況からジオンがソーラーレイを使用したことを皆に伝えるアムロ。グレートデギンの沈黙を伝えるジオン兵たちはアムロと同じものを知覚したのだろうか。それは多くは語られない。

 指揮系統を失いながらも当初計画通りにア・バオア・クー侵攻作戦を開始する連邦軍は悲壮感に溢れている。確かな戻る場所の保証もないまま死地へ赴く兵たちはまさに背水の陣だ。結果兵力で勝るジオンの誤算があったとすれば連邦軍の退路を完全に断ってしまったこともあったのかもしれない。「ニュータイプの勘」が気休めに過ぎないことを冷静に受け止めるカイとセイラの芝居が実に良い。思えばカイは後半戦に入ってから本当に良いムードメーカーとして機能していたように思う。ニヒル個人主義だったカイを変えたのはやはりミハルとの対話だったのだろう。

 戦場でガンダムを見失い、ジオングの能力を100%引き出せないことに苛立つシャアはとても凡庸に映る。それでも「私にも敵の姿が見える」ことを根拠に、自らもまたニュータイプであると信じようとするシャア。それはニュータイプ能力の発露だったのかというと実に怪しい。あれはあくまでもシャアの実戦で積み上げた勘、経験の積み重ねによってもたらされたものだったのかも知れない。

 ギレンを射殺するキシリア。何も殺すことはあるまいにというのはキシリアにもまた当てはまる。そこにあるのは打算というよりはより強い感情なのだと思う。父を殺したということを事も無げに語るギレンに、もはや存在そのものを許せぬほどの怒りを覚えたのであろう。

 ザビ家の内紛とアムロとシャアの戦いはパラレルに交わることなく進行していく。アムロが本当に倒すべき敵はシャアではないと感じるのは、それはララァが残した思念故と思う。どうしてもザビ家の愛憎劇とシンクロさせてしまいがちだし、作劇的にもあえてそれを狙っている感はあるが、実際にはこの2つは独立した事象として描かれているように見える。

 そして最終話へ。