ルルーシュらしさとは何か

 “いいよ、嘘のキスでも…私”“ダメだそんなの!”“ルルに戻った。最近のルル、らしくなかったから”

 コードギアスR2第12話「ラブアタック」での一コマ。このシーンは本当に良くって。シャーリーは、この数日の、咲世子さんが変装していたルルーシュを“らしくない”と見抜き、目の前でヘタレているルルーシュをこそ、“ルルらしい”と感じ取っているんですね。

 このルルーシュらしさ、というのは第9話「朱禁城の花嫁」でのシュナイゼルのセリフ“君がどうゆう人間か少し分かった気がするよ”、第11話「想いのチカラ」でのシンクーのセリフ“ゼロ、君という人間が少しだけわかった気がする”に連なるモチーフで…普段、キザを気取って結果こそが全てだと嘯くゼロ=ルルーシュというキャラクターが、その実、行動による結果そのものよりも、その行動に到るための動機にこそ本当に重きを置いている事の、反復なんですね。

 チェスに勝つという結果を得る事よりも、シュナイゼル兄様を打ち負かすという目的に沿う事を。政略結婚による利よりも、想いの力で世界を変革するという理想に殉ずる事を。一方的な恋愛感情を満たす事よりも、互いに惹かれあうプロセスこそを。外に向かって発する言葉とは裏腹に、ルルーシュは、ルルーシュこそが、何よりも過程を、行動に到るまでの理路を重視しているんですね。そしてそれは人物を見る、相手の動機を読み取る能力に長けた人たちにとっては、ゼロ=ルルーシュの本質として素直に受け止められているんですね。

 その一方で、長く側で仕えながらルルーシュの事をプレイボーイだと勘違いしていた咲世子さんや、あるいはゼロをカオスの権化として信奉しているディートハルトのような人間は、ルルーシュの、この結果よりも行動に到る動機を重視するという性質に、気付かない、見落としているんですね。ゼロ=ルルーシュという存在が産み落とした結果に意味を見い出し、それこそをルルーシュの本望であると思い込んでしまっている。この2つの視点は、視聴者がルルーシュに思い描くイメージのメタファになっていて…ルルーシュをカオスの権化とする見立てがどこかずれている、その化けの皮がはがれる時が迫っている事の暗示になっているような、気がしています。