選ばないという正義

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 まずあらかじめ言っておくと、私はこの番組を見ていないのでマイケル・サンデル教授がどのような解答を披露したのかは知らない。調べれば出てくるかもしれないが、あえて知らないまま書く。この設問を見た時真っ先に連想したのは映画「ダークナイト」のクライマックスだ。

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 ジョーカーの仕掛けた究極の選択。2つの客船の一方には死刑囚、もう一方には善良な市民。それぞれの船には爆弾の起爆スイッチ。爆弾は時限式で、時間が来れば両方とも爆発する。先にスイッチを押せば、相手の船だけが爆発し、自分たちは助かる。さあどうする?

 映画を見た人ならどのような選択が行われたかをありありと思い浮かべただろう。いや、この場合はどのような選択が行われなかったかと言ったほうがいいかもしれない。そう。爆弾のスイッチは押されなかった。一方は自らの意思で選ばなかった。そしてもう一方はボタンを押して自らが助かるというエゴの誘惑に駆られながらも選べなかった。この選択は映画史上に残る究極の選択に対する唯一にして最善の…そう。仮にその結果2隻の船が両方とも爆破されようとも…名もなき市民たちが勝ち取った正義の選択だったんだと思っている。

 これは損得の問題ではないんですよね。相手の命を踏みにじって、勝手に相手の価値を推し量って、自分が選んだ選択についての責任から逃れようとする態度それこそが悪に屈するということなんだという強烈なメッセージなんです。家族を人質に取られ罪なき人を殺す人間を誰が責められると言うのか。誰も責められはしない。だけどもそれは選んではいけない選択肢なんです。念を押すけれども、どっちが正しいという問題じゃない。自ら背負いきれない責任を突きつけられた時は、その選択そのものを放棄することこそが勇気であり正義なんだ、ということなんです。

 もちろんその責任を背負い、選択をしなければならない立場の人間というのもいる。選ばないで両方救うと決意したとしても結果としてどちらかしか…あるいはどちらも助けられないということもある。人間である以上、感情に流され選んではいけない選択肢を選んでしまうこともある。だけど選んでしまった以上はけして正義は名乗ってはならない。バットマンが、正義のヒーローではなく、闇に住むダークナイトとなったのは、自らが正義ではないことをこれ以上なく自覚したからなんです。

 選んでしまった時点で正義は失われる。そのギリギリ最後の一瞬まで第3の道を模索し続けるのが、選択する権利を与えられてしまった人に課せられた義務なんです。我々の住む世界は、時にそんな危ういバランスの上に成り立っているということを、この映画は再確認させてくれる。

“選ばないこと。選ぶ覚悟をしても最後の一瞬まで第3の道を模索すること。”

 究極の選択に迫られた時はそれこそが本当の勇気であり正義なんだと。そうであって欲しいと心から願っています。